飯貝の郷愁風景

奈良県吉野町【商業町・川港町】 地図 
 町並度 6 非俗化度 8  −かつて渡船を経て吉野山の入口であった−





飯貝の町並


 近鉄吉野線は吉野町役場のある町の中心上市の手前で吉野川を渡り、吉野山の麓に達している。この付近が現在吉野山の入口であるが、約1km東に飯貝という地区があり、かつてはここが正面口だったという。
 地名は古代の部民(職業区分)であった猪養部に由来する猪飼という小字があったことに由来するといわれている。
 もともとは本善寺という寺の門前町として発達したところで、茶店などが並んでいたという。上市村の対岸にあり「桜の渡し」とよばれる連絡船があり、参詣客はこれを利用して山に登って行ったという。今も下市地区とを結ぶ橋は桜橋と呼ばれている。この渡し舟は吉野四艘と呼ばれた航路のひとつで、船株仲間により運行されていたが、幕末になると上市村と飯貝村共同で運営されていたという。
 川港として位置づけられ、吉野川上流側から流れ下った筏をここでいったん止め、荷を改め荷崩れなどを直し和歌山へ下していたという。ここには材木中継問屋と口役番所が置かれていた。
 昭和初期に近鉄の前身である吉野鉄道が開通後、吉野の玄関口としての役割を終えた。大正中期の記録では戸数160のうち塩小売5・飲食店5・鍛冶3・煙草小売3・雑商27などとあり、登山口でなくなって以後も商業町として賑わっていた様子がわかる。
 
現在歩いてもこの界隈には外来客の来訪はない。しかし、連なる家々は堂々たる大型商家の姿で、古い町並として連続性の高い箇所も残されていた。天保13年創業の「吉野拾遺」という葛湯で有名な老舗「松屋本店」も虫籠窓と大和らしい粗い格子の佇まいで営業されていた。
 賑わいの中心は西側の近鉄沿線に移るも、間接的にその恩恵は受け続けたためそれほど廃れず、幹線道路も対岸に整備されたためそのまま残ったといったところだろうか。人知れず良い町並が残っていた。
 
 






 



訪問日:2020.09.20 TOP 町並INDEX