栖原の郷愁風景
和歌山県湯浅町 【漁村・港町】 地図 町並度 4 非俗化度 8 −北洋漁業に進出し廻船業でも栄えた− |
湯浅町栖原地区は重要伝統的建造物群保存地区の旧市街地からは北西に小さな峠を越えた海岸部にある。半円形の小さな湾と狭い平地を持ち、港が立地するに相応しいところにある。 |
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栖原の町並 | |
栖原村は和歌山藩の御蔵所(年貢を貯蔵する蔵を持ち、積み出しを行う場所)であり、また漁村としても発達していた。村落は海岸部の浜と谷沿いの里の2地区で構成され、「浜の方家数多し、谷広からす地狭小なれど福地にして、大抵豪商のみにて尋常の村落とは異なり江戸に店を出せる豪富等あり」(『続風土記』)という様相であった。 漁民は関東や遠方は樺太まで出向き、それらの海域の漁場開発に注力したという。北洋漁業の開拓者として知られた栖原角兵衛もこの地の出身である。当氏は江戸中期から明治初年にかけて、松前から当時北蝦夷地と呼ばれた樺太まで何代にもわたって進出、漁業経営を行った。千石船で東国から蝦夷地周辺を駆け回った。また江戸・日本橋に書房を開くなど商業的な活躍を示すものもあった。 そのような栄えある歴史を持つこの集落、しかし今歩くと活力が感じられないのが実情だ。空家も多く、店舗も鮮魚店をはじめ数軒しか見られなかった。厳かな門を持つ邸宅や、立派な土塀が巡ったりしているのを見ると、零細な漁村に留まらず裕福な港町でもあったのだろうと感じることができたが、やや寂しい町並探訪となった。 |
訪問日:2015.12.29 | TOP | 町並INDEX |
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