湯河原の郷愁風景

神奈川県湯河原町【温泉町】 地図 
町並度 3 非俗化度 3 −著名人の訪れも多かった谷あいの温泉場−

 湯河原は県の南西端、南西は熱海そして伊豆地方に続いている。小田原を南に出外れると山が海に迫る地形となり、東海道本線も海崖上を辿り景色の良い区間もある。そんな中にあって、湯河原の温泉街は相模湾に流れ込む藤木川の谷間に沿い展開し、近代的なビル旅館も見られるが、一部には歴史を感じさせる老舗旅館も存在している。



 




藤木川に沿い伝統的構えの旅館が見られる湯河原温泉街


 温泉が発見されたのは約1200前と古く、『万葉集』にも、「足柄の 土肥の河内に 出づる湯の 世にもたよらに 子ろが言はなくに」という歌が記録されている。
 以後湯治の地として近隣に親しまれ、慶安4(1651)年に小田原藩から13戸の湯宿が認可されている。ただ先述したように海崖が切り立った地形に隔絶されているなど、交通の便がよい地ではなかったのと、近隣に大温泉地箱根があったこともあり、多くの集客を見るまでには至らなかったらしい。
 明治に入ってからもしばらくは零細な湯治場的な温泉場だったが、日清及び日露戦争の折に負傷兵を収容した東京予備病院の転地療養所に指定されたことがひとつのきっかけになった。温泉宿の増加に従い温泉の掘削も行われるようになり、それまで20軒前後だった旅館数は昭和初期には40軒ほどに増えた。
 発展の一番の要因はこのように軍事的需要によるものだったが、一方で風光明媚な土地柄、文化人の滞在も多く国木田独歩・夏目漱石・芥川龍之介・島崎藤村等錚々たる人物が足繁く通い、また企業の保養所なども多く建てられた。
 伝統的温泉地としての名残は、主に藤木川沿いに見られる。富士屋旅館、上野屋など厳かな純和風の外観を誇る老舗旅館は、しかしあちこちで営業を止められていた。明治以降の湯河原の繁栄を語り継ぐべきこれら老舗群が失われると、湯河原温泉で温泉情緒を建物から感じ取ることは困難になるだろう。
 すこし下流側に下ると土産物街となり、所々に古い構えが散見された。伊豆半島を中心に、この付近では干物文化圏で、干物を扱う店舗が伝統的な構えそのままに営業されている姿もあった。
 









訪問日:2015.05.01 TOP 町並INDEX