佐島の郷愁風景

愛媛県弓削町【農村集落】 地図 
町並度 4 非俗化度 10 −隣り合う二つの島と陸続きとなった島−
 

 

   
 



 
   


 


 
佐島の集落風景 
 

 佐島は東を弓削島、西を生名島・赤穂根島と向合っており、因島の土生港から短い航路で生名島に渡るとそこから橋梁で陸続きとなっている。
 平安期には石清水八幡宮領の伊予国荘園のひとつに数えられていたとされ、鎌倉期には佐島の名を冠する領主が存在するなど、小さいながらも古くから存在感を示す島であったようだ。
 江戸期は今治藩領で貞享元(1684)年の人口は280人と記録される。中世より製塩が盛んで塩田が開発されたが、藩の政策により水田に転換された。周囲は漁場も多いが漁村ではなく、農業主体の島であった。
 また当島の船大工は江戸末期には伊予の船匠として知られ、明治に入ると海運業を行うものも増え、出稼ぎや北米などへの移住も盛んになった。
 2011年に開通した佐島橋のたもと近く、島の北西側に主要な集落が開ける。現在も柑橘などの農業の島で、漁村的な趣は感じられなかった。長屋門を思わせる立派な門を持つ家、塀に囲われた敷地の広い邸宅などもあるが、多くは中小の農家といった佇まいであった。佐島八幡社という小さな神社があり、その門前あたりは一部連続性が感じられた。
 観光要素はほぼない島であり、集落内は外向きの色は全くなく店舗も見られなかった。

訪問日:2020.08.09 TOP 町並INDEX