結城の郷愁風景

茨城県結城市<商業都市・産業町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 6 −紬織で名高い茨城県西部の産業町−



 結城市は紬織で有名な町で、町の名も古代人の衣類の原料であった楮の別名、綿木の生い茂る地だったことによるという。
 江戸時代、結城紬は風合いが木綿に似ていることから、節倹令の中質素を旨とする武士をはじめ商人にも広く愛用されていた。

結城市役所近くの町並




駅前通りの町並。土蔵を従えた町家が多く見られます。 駅前通りの町並
 元禄期に結城藩が成立し、水野氏により結城城が築城されている。周辺一帯は養蚕業が盛んであったため、城下ではそれを基盤に紬織が行われた。それ以前より結城の紬は関西方面にも知られていたが、藩が保護奨励したことによって一層産業として定着していった。
 物資の流通は鬼怒川の水運に拠っており、河岸から紬や近隣の村々からの農産物、薪などが江戸に出荷される一方、菜種や木綿を買い入れていた。また江戸を遠巻きに環状に巡る脇街道が奥州・日光街道に連結しており、陸路での輸送もあった。
 この紬が確固たる全国区の地位を得たのは明治に入ってからで、各地の絣織の方法を採入れながら質を向上させ、明治18年には結城物産織物商組合を設立して、検査員を置き合格品には組合の商標を貼付した。生産量も明治後半に入って鰻登りに増大し、末期には年3万反台に達している。商人の数だけ見ても、県西部の中で年商5000円以上の商人は、明治17年当時で古河町7人、下館町で8人に対し結城では19人と圧倒している。
 明治中期に水戸鉄道(現JR水戸線)が水戸と小山とを結んだことにより、物資は舟運から鉄道へと移り、交通の要衝という役割は淡くなった。しかし織物業は現在でも町の基幹産業として根強く息づき現在に至っている。
 町を歩くと静かな地方都市の顔である。古い町並としては一箇所に集中して残るというよりは、広い範囲に散在、点在している。その中で市役所南側の東西筋には比較的固まって商家らしい町家建築が見られる。それら伝統的な建物には市が小さな案内板を設置しており、由来がよくわかる。
 武勇酒造、結城酒造などの伝統的な構えの造り酒屋も多く見られ、紬産業以外にも様々な商業が集積していたのだろう。
 取立てて見応えのある町並景観があるというわけではない。しかし右往左往しているだけでも、次の辻を曲るとどんな町角風景が展開してくるのか期待を抱かせる。散策するに丁度よい広さの市街地なのである。歩度を緩めて歩きたい。
 



武勇酒造





訪問日:2004.10.10 TOP 町並INDEX