温泉津の郷愁風景

  島根県温泉津町<港町・漁村・温泉町> 地図 <大田市>
 町並度 6 非俗化度 5 −大森銀山の積出し港であった町−





温泉津町は石見地方東部の日本海岸に存在する。ここは、10キロ余り東方の山間部にある大森銀山の積出し港として古くから開けていた。銀山に着目した毛利元就はこの湾口の小島に櫛島城と鵜丸城を築城した。以後港町としての歴史が始まり、支配権を握った元就は積出港として位置付けた。江戸期に入って銀山が幕府領となり経営が本格化すると、銀山で消費される米や麦、燃料や雑貨類が入荷され、その取引も盛んになった。もうその頃は町場が形成されていたという。
 その後銀輸送の主流が海路から吉舎、上下を通って山陽に抜ける街道に移ったが、大坂と日本海側の各地を結ぶ北前船の碇泊地として、また最盛期を迎えていた銀山への物資の玄関として再び大いに賑わった。当初は漁業・農林業のみであったこの町は商港となり、温泉津における廻船問屋の数は宝永4(1707)年には17軒であったものが、延享2(1745)年には40軒を数えていた。
温泉街の入口にある内藤家 庄屋屋敷とも呼ばれる代表的な伝統的建物だ






温泉街の町並


 また、名の示す通り、温泉地としても古い歴史を持つ。言い伝えによると狸がここで傷を癒すのを見て近在の人々が利用し始めたともいわれている。港から続く町並は、廻船業などで栄えた町家群と、温泉町としての古びた宿屋の二つの顔が渾然と入り混じって細い谷間のわずかな平地に細長く延びている。また細い路地には遊女屋であった名残を残すような、2階に桟を構えた木造の建物も残っている。
 温泉街の入口に当たる箇所に元就の流れを汲むといわれ、代々庄屋を勤めた内藤家がある。塀を巡らせた町内では唯一ともいえる屋敷型の旧家で見応えがある。横路地には土蔵が連なり、海鼠壁には特産の温泉津焼がはめ込まれていた。




 温泉街の町並 町並の俯瞰 色とりどりの瓦の風合いに風情を感じる






 港町と温泉町が雑然と入り混じりながら絶妙な調和を見せる姿は貴重である。新築の旅館や土産物屋などもあるが、小規模なものが多く大口の団体を受入れることはできない。そのことがまたこの町の俗化を最小限にしているといえる。
 この町はまさに石見銀山とともにあった。近年重要伝統的建造物群保存地区となり、さらに銀山とあわせ世界遺産登録が実現ている。地元では漁港の埋立て計画を撤回するなど、その名を汚さぬよう強い意識が保たれているようだ。
 町を歩くと観光客の姿は少なく、以前同様の静かで素朴な温泉街が維持されている。大都市部から離れており、また交通の不便な土地であるからだろう。歴史と町並ともに味わい深く、訪ねる価値の高いところである。

後半3枚:2014.06撮影
その他:2011.11撮影

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訪問日:2003.03
(2011.11.13再取材)
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