西田の郷愁風景

島根県温泉津町<市場町・街道集落> 地図  <大田市>
 
町並度 5 非俗化度 9  −大森銀山と港との中継地に形成された集落−


















狭い谷間の細道に連なる西田の町並
 

 温泉津町北部から日本海に流れ込む湯里川の中流域、狭い谷間に西田という集落がある。東側に峠を越えると大森銀山に至る。ここは銀山とともに歴史を刻んだところだ。
 古くは大森の銀は温泉津湊から積出されており、ここは銀山と港を結ぶ中継地にあったところだ。永禄5(1652)年、毛利氏が温泉津を直轄領化し、銀山の経営が本格化するとこの西田村にも毛利氏の奉行所が置かれた。この頃には既に町場が形成されていたようである。
 元禄10(1697)年の記録では人口333名を数え、銀山街道の助郷村に指定されていた。各種商店やお茶屋、芝居小屋まであったといわれ、また宿屋もあり中継地の宿場的な色合いもあったと云われている。西田千軒と形容されるほどの賑わいであったという。昼間から三味線の音が聞こえるなどと江戸期の文献に残されている。
 産業としては西田葛と呼ばれた葛粉が名産で、明治初期の記録ではその他木の実油、蜂蜜などが産出されていた。
 この西田地区は大森銀山方面から国道9号方面に向う際偶然通りかかったもので、石州瓦の連なる街道集落的な佇まいに単なる小集落ではなく、歴史をはらんでいるのではと感じた。但し古いといっても恐らく昭和に入ってからと思われる建物が多く、あるいは火事などで一度更新されたからか。狭い平地のため敷地は広くないものの、中には一階正面部分がすべて開放的な構造になっているなど、商売をされていたらしい家も多く眼についた。
 今は小さな山間の集落に過ぎず、周囲の地形や環境からも集落が発達しそうには思えないところだが、ここにかつて遊興の場も含む町場が形成されたということは、銀山の賑わいが相当なものだったということ示しているようであった。
 


訪問日:2020.05.30 TOP 町並INDEX