由良宿の街道風景

鳥取県大栄町<宿場町・在郷町> 地図 <北栄町>
 
町並度 5 非俗化度 8 −年貢米の積出港もあった山陰街道の宿駅−




由良宿の町並


 鳥取県のほぼ中央、砂丘地帯のひろがるなだらかな海岸線から少し内陸に入った位置に街村的に町並が展開している。山陰街道沿いの宿場町として発展した歴史を持ち、国道は海側に別途建設されたため当時の原型をよく保っていた。
 室町期には由良郷と呼ばれたこの一帯だが、実際に町場としての体裁を整えたのは享保4(1719)年に由良川左岸に藩倉が建設されて以後である。港も構えるこの地は物資の集散に適しており、年貢米などを積出した。山陰街道は米子往来とも呼ばれ、藩主池田氏は街路を拡幅した上で馬継場に指定し、近隣住民の移住も奨励している。南北に直交する街路も整備され、計画的に形成された町となった。
 街道筋は由良川に接するあたりから西へ向けて、極めて明確に残り面影を感じさせる。平入りでつし二階の山陰街道時代を思わせる建物や、間口が広く庭を従えた邸宅も見られる。代表的なものが屋号橋津屋を名乗った遠藤家であろう。藩倉を管理する役人に指名された家で、かつてここより東に位置する橋津村から招聘されたためこの屋号がある。酒造業も営み商家としても名高かった。その他医院宅など、厳かで見応えのする伝統的な建物が幾つか残っている。宿駅だけでなく港と街道が接する位置にあったことからも各種商業が立地し、鍛冶屋や紺屋・米屋などが繁栄を極めたほか、廻船業を興し大坂方面との交易を深めるものもあった。
 由良宿の集落を出外れて西に向っても、所々に味のある街道集落が残っている。妻波、大谷と渋い黒瓦を葺いた家々が連なり、造り酒屋も残る。可能なら由良宿から通しで歩いて訪ねたいものだ。
 




由良宿の町並




由良宿の町並 大谷の町並


大谷の町並


訪問日:2009.09.22 TOP 町並INDEX