湯沢の郷愁風景

秋田県湯沢市【城下町】 地図
 
町並度 4 非俗化度 7 −城下町を礎とした町 代表的な酒造家の佇まい−
 






前森の両関酒造 県南を代表する酒造家だ  
 
 

 湯沢は県の南東端部、県下有数の穀倉地帯の一角にありそれを基盤とした酒造業が栄え、現在でも代表的な酒造家がある米どころ、酒どころである。
 中世に小野寺氏による湯沢城が築城され、後に佐竹氏が秋田に転封され当地も同氏の支配を受けることとなった。家臣であった佐竹四家のひとつ、佐竹南家がここに本拠を置いていた。中世末期から既に市が成立し賑わっていたことあって、町として発展する基盤はあったといってよい。
 一国一城令により城そのものは廃された江戸初期、しかし南家の義章は町中に居館し小城下町を建設した。武士の住む内町と町人その他の居住地である外町に区別し、18世紀前半の正徳年間には正式に町立てされたといわれる。
 この町の発展は、南家の拠点として羽前・陸前国境に面する要地であるという政治的側面、平野部の南端にあり周囲の山村からの物資が集結しやすく、また久保田(秋田)城下への物資供給、そして帰途に海産物や生活品などを運び込むといった経済・交通的な側面があった。また南部には院内という銀山が存在していて、そちらへの物資調達源としても重要な役割を果していた。
 湯沢町の発展の頂点は明治から大正にかけてで、商業の集積により農村部から多くの人々が集まり人口が急増した。明治後期になって鉄道が開通すると林業・木材業の隆盛を見、また酒などの醸造業も発達し、灘と競い合うほどの勢いであったという。
 古い町の中心は平野の東縁、山裾に近い地区に展開する。いかにも良質の水に恵まれやすく酒造りに最適と思わせる立地だ。代表的な両関酒造は厳かな外観の主屋、それに隣接する土蔵群などそれ自体で古い町並を演出しており、さすが有数の酒造家といったところである。
 この前森地区から南に連なる街路を辿ると、所々に妻入りの伝統的な家屋が現存している。連続性が低いのがやや残念であるが商業が発達し繁栄していた町の姿は十分想像できる。
 なおこの付近より山裾に向ってがかつての武家地で、道路脇に小さな案内標識もあったが、町並風景としては武家の名残を感じることは今ひとつできなかった。





前森の町並




吹張の町並

訪問日:2012.08.13 TOP 町並INDEX