善光寺門前の郷愁風景

長野市<門前町> 地図 
 町並度 5 非俗化度 3 −大規模な仏具屋街も残る典型的な門前町−





善光寺本堂 仁王門から本堂に向う辺りの仏具屋街




仏具屋街の町並 仁王門手前の宿坊街




 参道から横に入ってもこのような造り酒屋等、古い町並が見られます。商業の中心でもあったのでしょう。  旧善光寺街道沿いの町並。関東風の蔵造りも散見されます。



 善光寺は古くより宗派に関係なく多くの参拝者があり、全国的にも知名度の上では指折りの寺であろう。善光寺の名は既に鎌倉期には登場していたといわれる。その後戦国の騒乱期、川中島の合戦時には武田・上杉両氏が甲斐・越後にそれぞれ多くの諸仏や宝物を持ち去り、寺は荒廃した。
 甲府善光寺に移されていた本尊は武田氏滅亡後は豊臣秀吉が預り、京都方広寺の本尊としたが、慶長3(1598)年に霊夢の告げにより善光寺に返されたといわれる。本尊を取戻した善光寺は再び活況を呈して、全国各地から参拝者を集め門前町が発達している。
 寺社の歴史を詳述することはここでは最小に留め、門前の町並について紹介したい。
 長野駅を出ると既に門前町が始まっているような雰囲気がある。駅前からの約2kmは旧善光寺街道であり、その色は本堂に近づくにつれ濃くなっていく。2階部分を漆喰に塗り回された店蔵が目立つ。信濃の全ての街道は善光寺を目指していたといわれ、寺域内の46の宿坊の他、街道沿いには約30軒の旅籠があり、ある意味壮大な宿場町でもあったのである。
 宿坊は今でも仁王門手前の一角に多く保存されている。一般観光客にも広く公開され本来の目的とは少し異なっているものの、門前の雰囲気を強く感じることが出来る。更に仁王門をくぐるとそこは完全に寺社の町であり、仏具屋が連続した非常に特殊な町並展開を示している。この周囲は藩政期から庄屋の上に町年寄が置かれた自治体制が取られていた地区で、参道の線のみならず面的な古い町並の広がりを示す。人通りの少ない横路地からも、古い町の雰囲気を強く感じることが出来る。門前町のみならず人の集まるところゆえ、経済の中心として物資の集散地ともなっていたのだろう。
 善光寺門前は市街地になりながらもその雰囲気が段階的に濃くなっていく様子をはっきりと感じることが出来る。少し距離はあるが長野駅から歩いて参道の雰囲気を味わいながら向われることをお勧めしたい。
 
 
 
訪問日:2004.05.29 TOP 町並INDEX