膳所の郷愁風景

大津市膳所他【城下町・街道集落】 地図
 
町並度 4 非俗化度 8 −城下町と旧東海道沿いの遺構が残る−
 
 
膳所一丁目の町並 土塀が残る
 
 膳所は東海道本線の駅があることで比較的よく知られているが、城下町であったことは余り知られていないのかもしれない。
 関ヶ原の役後、大津城が廃され膳所城が置かれた。瀬田橋の警護と京都の監察のためであり、藤堂高虎が管理を命ぜられた。琵琶湖に面した小半島状の土地に建設され、三方を水に囲まれた水城であった。「瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と里謡にうたわれ、湖面に映る姿が美しかったという。 




中庄一丁目の町並


 城下町は膳所村をはじめ西ノ庄・中ノ庄など5ヶ村が指定され、東は湖岸に臨み西は山地を控えて南北に長く連なっていた。元禄の頃の構成は侍屋敷461軒、町家約502軒、出屋敷180軒、寺23軒などとある。町の西側には侍屋敷と寺院が配置され、土塀に囲われていた。現在でも膳所一丁目付近では住宅地になりながらも一部が残存しており、異質で独特な町並風景が展開していた。
 また旧東海道が城下内を通っていたことが特筆される。「細くて長いは膳所の街」といわれるように街道の屈曲が多かった。これは城下町の防衛政策であったのだろう。
 東海道筋には幾分か町家建築がまとまっており、京阪電鉄の中ノ庄駅付近を中心に南側の杉浦町から北側の中庄町付近にかけて分布する。つし2階の伝統的な建て方が多く、煙抜きの越屋根を持つものがあった。また一部には軒下に床几を持つものもあり、商家であったことを伝えていた。
 古い町並として保存するほどの質量ではないものの、城下町の遺構や町家群は都市域にあって稀少性が高く、今後も大事にしていただきたいものだ。 
杉浦町の町並

杉浦町の町並
訪問日:2010.12.05 TOP 町並INDEX