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水切瓦を持つ町家建築が見られる赤岡の町並 |
赤岡は高知市の東約20kmに位置する太平洋沿岸の町である。
江戸期に入り商品経済が発達するにつれ、赤岡は在郷町として発展を続けた。高知城下の物品販売の品目統制圏外にあったことも、それを後押しした。酒造業者や紺屋、製塩などが盛んに行われ、綿織物も赤岡縞の名で有名であった。また港としても発展し、廻船問屋が現れて近隣の物資が主に上方に運ばれ商取引が行われた。寛政3(1771)年の浦分改帳では人口779名、市艇3・小船1・漁船12などとある。地引網や沖釣りなど漁業も盛んに行われた。
国道より一筋山手に旧市街の家並が連なり、古い町並を残している。ここは街道交通の要衝でもあり、特に明治以降は高知方面・安芸方面へ向う街道と内陸部とを結ぶ道が交差したところとして人力車や乗合馬車が頻繁に往来した。最近になって土佐くろしお鉄道が開通したが、この地への鉄道の歴史は大正13年に高知鉄道株式会社が後免〜手結(てい)間に開通し、赤岡駅が設けられたことまで遡る。昭和49年まで現存しており地域の足となっていた。
家々はつし二階形式の背の低い旧家を含み、建築年代が古いものもあるようだ。また土佐らしい水切り瓦を妻部に持つ商家風の建物も見られた。
江戸末期、この地出身の弘瀬金蔵(俗称絵金)をまつった「絵金祭り」が毎夏開かれ、その迫力ある屏風絵が各家の軒先に並べられる。また、ここは土佐の酒豪振りを競う「どろめ祭り」の開催地としても知られる。土佐の真髄のような町である。 |
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