備前福岡の郷愁風景

岡山県長船町<商業都市・市場町> 地図 <瀬戸内市>
 
町並度 6 非俗化度 6  −吉井川沿いの中世からの商業都市−






大柄な商家建築の目立つ福岡の町並


 長船町福岡の辺りには中世には福岡城が構えられ、吉井川を天然の要害として軍事的拠点となっていた。既に鎌倉期から福岡の市と呼ばれる市が開設され、その規模は今の吉井川の河道内にも展開していたものと推定されて、当時としては大変な規模の商業都市であった。
 水運とともに山陽道の沿線でもあったことが発達の素地としてあったのだろう。
 16世紀末の天正年間に吉井川の大洪水によって町はほぼ現在の形となり、市としては衰えたが、在郷町としてこの地域の中心という地位は変わらず続いた。産業の面でも備前焼など近隣の産物の積出、また中国山地で豊富に産出される鉄によって、「備前刀」の中心的産地としても重要な位置を占めた。日本刀というと備前長船と人々から言われるほど、名刀の産地として知られてきた。
 各種商産業が発達したさまは、現在町並を歩いても濃厚に伝わってくる。碁盤目状に整然とした街路は主要街道並の広さを誇り、厳かな門や土蔵を従えた堂々たる邸宅が多く目につく。町は一方を吉井川の堤防、他の三方を田園に囲まれ、周囲の田園地帯とは画然と分れており、どこか寺内町的な雰囲気が漂っている。
 それを際立たせているのが町の中心にある妙興寺の存在かもしれない。中世末期にこの地に居を構えた黒田氏の墓地もこの境内にある。なお、黒田孝高(通称官兵衛)の長男長政は、関ヶ原の役で家康方に付いたため筑前に52万石を与えられた。このとき築城した城を父祖の故郷を偲んで福岡城と名づけ、現在の福岡市の名の元となった。
 








※2022.12最終訪問時撮影             旧ページ


訪問日:2002.02.03
(2022.12.10最終取材)
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