千代田の郷愁風景

広島県千代田町<街道集落・在郷町> 地図(八重)地図(壬生) <北広島町>
 町並度 4 非俗化度 8  −石見を結ぶ街道沿いに形成された商業町−

八重の町並




八重の町並 壬生の町並




壬生の町並


 千代田町は石州街道が南北を貫いており、古くから山陰方面とのつながりが強く、物資の運搬路として、とりわけ中国山地で生産される砂鉄などを運ぶ重要な役割を担っていた。この街道沿いを中心に赤瓦が多く見られるのが特筆される。
 町の中心部に位置する八重及び壬生地区を中心に紹介する。
 八重地区は江戸期から十日市・五日市といった街道沿いの市街地があったが、明治に入り現代の陰陽連絡路として整備されると急速に市街地化し、二つの市街地を結ぶ形で現在の八重市街が形成された。明治29年の記録で6軒の旅館をはじめ各種商店が集積し、行政機関も集中した。年1回の牛馬市も開催された。
 壬生地区は八重地区の東に接し、中世には壬生荘が置かれ城も構えられていた。壬生の市と呼ばれた市街地には18世紀前半の享保期には既に酒屋2・医者1などがあり36戸を有する市街地となっていたといわれる。
 先ほど牛馬市に触れたが、この地域は牛耕による農業が盛んに行われてきた。現在に残りそれを象徴するものが花田植で、特に壬生地区で行われるものが有名で毎年多くの見物客がある。
 両地区とも幹線道路からは外れたことで旧態を保っているといえる一方、国道沿いに商業施設も出来、かつての賑わいは失われている。それでも現役の店舗として営業を続ける姿もあり、また旅館の看板を掲げ現役と思われる建物もあった。
 また町域北部の蔵迫地区にも造り酒屋を中心とした町並が今に残っている。江戸中期には既に街道集落を形成、旅籠1軒を有し、職人や醤油醸造に携わる家々なども多い町場として賑わっていたといわれる。




蔵迫の町並

※2019年7月最終訪問時撮影

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訪問日:2001.11.18
2019.07.06最終取材
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