恵那(大井宿)の郷愁風景

岐阜県恵那市<宿場町> 地図(大井)
 町並度 5 非俗化度 7  −6箇所もの桝形を有した中山道美濃路の宿駅−


旧大井宿の町並 右は大井村の庄屋をつとめた古屋家

 
 恵那市は岐阜県東濃地域の主要な町の一つで、市街中心部は中山道時代、宿駅・大井宿が設置されていたところである。
大井宿は中津川宿より京方に二里十八町、「宿村大概帳」によれば本陣・脇本陣各1、旅籠41、問屋5などを有した大宿場であった。ここは名古屋、伊勢に向う下街道が分岐していた槙ヶ根追分に近く、中山道の旅人のみならず伊勢参りや尾張商人などの通行も盛んで休泊の節目に当たっていたようである。
 この宿場の一番の特徴が6箇所もある枡形の多さで、横町・本町・竪町・茶屋町・橋場と続く当時の町は全て枡形で画然と区切られ宿場の中央を分断する川の東岸ではコの字形に迂回する街路形態も見られる。各方面からの旅行者が交雑するところ故、充分過ぎる防衛体制が敷かれていたようだ。宿場の東端には本陣跡が表門を残し、周辺には本陣から分派し、宿役人の問屋役を勤めた林家や、当時の旅籠屋も数軒残り、落着いた街道集落らしい佇まいを残していた。
 宿場内には庄屋を勤めた家が二軒現存している。宿の中央に位置する古屋家と宿場の西端、中野村に居を構える屋号本酒屋である。いずれも長屋門を備え広い庭を有し、灰漆喰に塗り込められた入母屋の豪壮な母屋を持つ。
 両宿場とも助郷制(大名通行時などに近隣の村から応援を仰ぐこと)を取っていたと言われるが、通行の増減は宿場の経営に影響を及ぼし、幕末になると大通行が増したことから助郷村への負担が強まり、過大な課役に苦しんだという。それほどまでに賑やかだったこの両宿場の情景は往時、どのようなものだったかと想像するのも困難なほど、今では裏通り的な静けさが支配していた。
 








残存する本陣の門

訪問日:2003.05.04
2017.07.17再取材
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