福住の郷愁風景

兵庫県篠山町<宿場町> 地図 <篠山市>
 町並度 7 非俗化度 7 −篠山城下と京都を結ぶ街道の宿駅−

 



 
 妻入りの厳かな構えの商家建築が目立つ福住の町並
 

 丹波地方南部の篠山盆地の中心に位置する篠山城。地理的に西国大名を押える位置にあり、藩主が幕府の要職に就くことも多く出費も多かったことから藩民の生活は必ずしも裕福なものではなかったといわれている。農家も自給自足的な零細な農家が多かったそうだ。
 しかし、この福住地区に残る家々は貧しい農村の佇まいではない。妻入りの堂々たる構えを見せ、連続性も高く古い町並と呼ぶにふさわしい佇まいを残している。

 篠山城下から京都へ向う街道は篠山街道(丹波側では京街道)と呼ばれ、西は播磨姫路へ達していた。この福住は城下の東側三里に位置する街道上の集落で、要人も頻繁に往来することから宿駅として本陣・脇本陣も置かれ、藩の米蔵も存在していたという。現在でも二つの国道の交差する位置であり、交通上の節点となっている。
 国道は旧街道の北に新たに建設されたため、旧宿場町は南側にそのまま封印された。福知山線や山陰本線の沿線から離れており宅地開発されなかったことも、古い町並が残るには好都合であったのだろう。
 旧家の規模は篠山城下の河原町商家群などよりむしろ大きいとも感じられる。敷地に余裕があるためか間口は広く、また街路も比較的幅が広いため開放的な印象を受ける町並である。町並の一角には街道松と一里塚の跡が残り、ここが藩政時代に主要道であったことを示していた。
 2003年に訪ねて以来の再訪であったが、その間に重要伝統的建造物群保存地区となっている。初回は地名辞典に掲載されていた薄暗い写真だけを頼りに探り当て、知られざる町並といったところであった。今は案内板はむろんのこと、店舗や外来者を迎え入れる商家を利用した宿泊設備も見られた。しかしそれらは保存地区の景観に影響を与えぬよう配慮されたものである。無住で何にも利用されていない伝統的な建物を維持するのは、なかなか難しい。人の目に触れること、人が住みまたは利用されることというのも重要な条件であろう。
 



 
 

 

 



 
   


2023.10再訪問時撮影     旧ページ

訪問日:2004.08.14
2023.10.22再訪問
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