京都市伏見区<街道町> 地図 町並度 4 非俗化度 7 −秀吉の築いた堤防上に展開する街道集落− |
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旧新大和街道に沿い展開する向島の町並 | |
伏見区向島地区は宇治川に架かる観月橋の南詰、そこから南西方向に向う道筋に古くからの街区が展開している。周囲は幹線道路や近鉄・京阪線さらにJR線が近接して駅が設置され、往来の途切れないところであるが、かつての環境は大きく違ったものがあった。 現在の近鉄向島駅がある付近から西には巨椋池があり、古い街区は東側の堤防上に位置していた。これは豊臣秀吉が建設したもので、太閤堤と呼ばれる。文禄3(1594)年、秀吉は伏見城から宇治川を挟んだこの地に指月伏見城を造営、並行して宇治川や淀川の治水工事を大規模に行って伏見を街道の要衝に計画した。現在の観月橋の位置に架橋し、堤防上に街道を整備して京都と大和の距離が大幅に短縮される新大和街道を拓いた。街道沿いの集落として商工業が発達し、明治初期の記録では向嶋村は約700名の人口を有し、荷船や渡船の所有も記録されているから川運に従事する者もあったのだろう。物産は魚介類のほか、菜種や実綿、茶などがあった。 旧新大和街道は生活道路であり車両の通行も多い。観月橋に近い方では道筋が円弧状になっており、堤体が曲線を描いていたのだろう。歩いていると商家・町家を思わせる伝統的な建物があちこちに見られる。一部には中二階形式の形が残るものもあるが、二階の立ち上がりが高い建物が多いので多くは明治以降になって建て替えられたものなのだろう。街道沿いの向島橋詰町、同中之町・下之町・中島町にかけて古い町並が見られる。 街路から裏手に廻る小路が所々にあって、多くが坂道を下っていく形となっており、街道沿いが微高地になっていることがわかる。巨椋池堤防上の集落と言う点では、池の南西堤に相当する位置にある久御山町東一口(ひがしいもあらい)地区と類似したものがある。 |
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訪問日:2025.01.03 | TOP | 町並INDEX |
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