長良橋袂の郷愁風景

岐阜市玉井町・元浜町<城下町・港町> 地図
 
町並度 7 非俗化度 5
 
−鵜飼船乗場に接しかつての自然堤防上に展開する川港の町並−


玉井町の町並(2001年撮影)当時は電線の地中埋設などは行われていない



 岐阜市内のどこからでも一際目立つ金華山がある。麓からは屹立した崖のようにも見えるこの山頂に、織田信長ゆかりの岐阜城の天守閣が光っている。天守閣へのロープウェーの発着地である岐阜公園には信長の旧邸跡がある。永禄10(1567)年の信長入城後、城下町の造成とともに楽市楽座制により商業を発達させている。但し関ヶ原の役の際に城主であった信長の孫・秀信は西軍についてしまったために城は攻め落とされ、家康の命によりその残骸を再利用して南側の現在の岐阜駅近くに加納城を築いた。従って岐阜では駅周辺よりも金華山の西麓一帯が町場として最も古い歴史を持っている。
 金華山の北側には長良川が悠然と流れる。長良橋付近には鵜飼の観光船が無数に横付けされ、シーズンには賑やかな一角だが、この南側の港町・玉井町・元浜町を中心とした地区に古い町並が残っていることに注目されることは少ない。平入りで原型が良く保たれた町家建築が純度高く連なる町並は重要伝統的建造物群保存地区に指定されても不思議ではないものであり、袖壁や格子などの意匠もよく残されている。特に1階部分の出格子には格式高いものを感じる。
 これらは河港に接する商家群であり、その姿からかなりの財力を持っていたものと思われる。










 
 
 家並から川裏側にまわると、土地が一段と低くなりまさにこの町並が自然堤防の上に連なったものであることを認識させられる。石垣を頑丈に積上げたその構造は堤防上とはいいながら洪水時に備えたものであろう。
 家の守り神か、軒上に木製の小さな祠が置かれていたりする。近年になって電柱の地中埋設、地道を意識した舗装などが施され古い町並としての認識がなされているようであったが、まだまだ訪ねる人々は少ない。これはこの町並の残存度からしても特異なものといえる。


※注記のある画像以外は2009年7月再訪問時撮影
※文章の一部は「金華山麓の郷愁風景」と共通です
訪問日:2001.12.23,2009.07.19再取材 TOP 町並INDEX