金華山麓の郷愁風景

岐阜市材木町他【城下町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 8
 
−山上の復元天守閣に見守られながら残るかつての町人町の町並−
 

今町の町並




白木町の町並 大仏町の町並




東材木町の町並 下茶屋町の町並




米屋町の町並 白木町の町並


 岐阜市内のどこからでも一際目立つ金華山がある。麓からは屹立した崖のようにも見えるこの山頂に、織田信長ゆかりの岐阜城の天守閣が光っている。天守閣へのロープウェーの発着地である岐阜公園には信長の旧邸跡がある。永禄10(1567)年の信長入城後、城下町の造成とともに楽市楽座制により商業を発達させている。但し関ヶ原の役の際に城主であった信長の孫・秀信は西軍についてしまったために城は攻め落とされ、家康の命によりその残骸を再利用して南側の現在の岐阜駅近くに加納城を築いた。従って岐阜では駅周辺よりも金華山の西麓一帯が町場として最も古い歴史を持っている。
 付近は金華山の麓線に平行な街路と直交する街路とで碁盤目状に構成され、伝統的な建物があちらこちらに見られる。古い町並といえるほど連続性が高い場所はそれほど多くないものの、その質は高く袖壁や出格子などの意匠が見られる。これは長良橋南詰の玉井町などと共通するもので、商業の重積が大きかったことを伺うことができる。
 この界隈で特筆すべきものに「御鮨街道」がある。これは長良川で獲れた鮎を米飯とともに醗酵させ、それを江戸の将軍家に献上していた名残であり、長良川岸につながり決まってここを通過したことから名付けられたものであろう。長良川岸・城下と中山道・美濃路方面を結ぶ主要街路であり、平入り切妻形式の町家がある程度連続性を保って残っていた。この白木町界隈には広い庭を従えた邸宅も散見され、また南端付近には高札場もあった。これは旧城下町の南端であり、御鮨街道を辿ってきた人々にとって城下の入口であったからで、当時は濠も存在していたという。確かに付近から南に外れると嘘のように古い建物は見られなくなった。
 金華山上の復元天守閣に見守られるようにして展開する町並は城下町らしい風情を今に残している。


※文章の一部は「長良橋袂の郷愁風景」と共通です。
訪問日:2009.07.19 TOP 町並INDEX