五個荘町は湖東地方の中部、田園と丘陵が交錯し農村集落が散在する。町内には近江商人屋敷と呼ばれる豪商の旧家が多く残ることが特徴的で、それらが伝統的な町並を形成している。
近江国では八幡(現近江八幡市)や日野などで商家が発達し、五個荘はやや遅れを取ったがそれでも既に18世紀前半の享保年間には京都をはじめ各地に店を出すものが現れ、やがて江戸へ出店する商人も多く現れた。
行商も盛んに行われ、木綿や繰綿・生糸・麻その他多くの商品を手に、上方はもちろんのこと西日本一帯から東北、蝦夷地にいたるまで天秤棒を担いで全国を渡り歩いた。
明治以降も発展は続き、繊維関係の67軒の商人のうち13軒が県外に店舗を持っていたとの記録もある。
町並景観として特徴的なのは、もともとは農村集落であったため敷地が広く、豪農宅といった風情が感じられることだ。ここで紹介する金堂集落はその代表的なもので重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている。
琵琶湖に注ぐ川は、途中から涸れ川となっているものが多い。流れが地下に潜り込み伏流水となっている。この地域はその流れが細かく分かれて地表に表れてくるところで、豊かな水の風景が展開している。豊かに繁る水草は、流れの清いことを証明しており、屋敷庭内にはこの水を引き入れ生活に利用する工夫がなされている。水路が潤いのある集落風景を形作っている。堀には鯉が泳ぎ、一見いかにもと思わせるが、それが観光客に迎合したものには映らない。
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