母里の郷愁風景


島根県伯太町<陣屋町> 地図 <安来市>
 
町並度 5 非俗化度 10 −東出雲の静かな赤瓦の町−


 








母里の町並
 
 伯太町母里地区は県の東端付近、中海に流れ下る伯太川中流部左岸に市街が開ける。ここは万治3(1660)年に松江松平藩による検地が行われ、徐々に町場としての体裁を整えつつあったと言われている。
 寛文6(1666)年、松江藩の支藩として母里(もり)藩が置かれた。藩とはいってもわずか1万石の極小藩であり、制度等は松江藩に従っていたという。藩主も参勤交代をしない「江戸定府」の形が取られた。幕末になって、藩主松平直哉は長州征討軍への参加の折、この母里に立ち寄っている。藩主が自領に足を踏み入れたという記録はこの一回しか残っていないという。城も構えず、「御館」とよばれる藩庁が設けられた。
 明治に入り大政奉還で江戸邸を引き払い里帰りした際、直哉は御館の増築や藩士の家95軒の新築が行われたが、間もなく廃藩置県を迎え、城下町としての母里は役割を終えている。
 主要な街路は伯太川に平行に二筋あり、いずれも古い町並が見られる。またその間の小路には水量豊かな水路が走り、町並の情景に彩を添える。大火や洪水に度々見舞われたことから城下町時代にまでさかのぼる旧家は残っていない様子だが、それでも比較的統一された山陰系の赤瓦が目立つ家並は歴史を感じさせる。 
 家々は街路に向かい斜に建てられ、軒下に三角形のデッドスペースを生んでいる。最近建替えられたらしい家も旧来に従ってはすに構えている。家々の敷地が平行四辺形をなしていることも関係しているという。
 町並としてはほとんど知られることなく、川に抱かれるように家並が静かに息づいているといった風情である。
 
 


2021.04再訪問時撮影     旧ページ

訪問日:2003.06.01
2021.04.14再訪問
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