早島の郷愁風景

岡山県早島町<陣屋町> 地図
 
町並度 6 非俗化度 7  −戸川氏の陣屋町 藺草の名産地−





早島の町並 商家の建物を利用した「いかしの舎」(公開)
 

 早島町は岡山市の西、倉敷市との間に挟まれた非常に面積の小さい町である。国道2号線が町を横断しているが、知らないうちに通過してしまう。
 この地区は中世は児島湾に面していた。ここに限らず、岡山県南部の平野部は古い時代、海域は今より遥かに内陸に入り込み、多島海を形成していた。高梁川、吉井川、旭川の上流から和鉄生産のため砂鉄を採取したことにより大量の土砂が流入したのと、江戸時代からの干拓による陸地化が現在の海岸線を作っている。
 この早島町の形成は宇喜多開墾と呼ばれる干拓事業にさかのぼる。現在町の中心を走る県道はその堤体上に作られた道路である。この土堤が高梁川の洪水や児島潟からの海水の流入を防ぎ、付近には豊穣の耕地が形成された。藺(い)草・畳表産業が発達し、堤体上には商家が建ち並んだ。現在でも本瓦、二階正面部の虫籠窓、なまこ壁という典型的なこの地方の旧家が残っている。藺草の栽培はもともと稲作の裏作として行われたものだが、塩分に強い藺草は干拓地に適し、たちまち全国有数の産地となった。加工品の畳表は早島表と呼ばれ、大坂方面と商取引を行っていたが、寛政四年(1792)、問屋・大仲買・小仲買合わせて67軒ほどが株仲間を形成、流通機構も整備されて天保年間(1830年頃)には江戸へも出荷されるようになっていたという。
 早島はこの産業をベースに旗本戸川家の陣屋町としても発展した。陣屋町としての町の遺構は県道より北側の山裾に見られ、この一帯には土塀が張り巡らされ、細い迷路のような武家屋敷街らしい区画が残っている。中でも戸川家資料館の周囲にはその色が濃く、萱葺屋根を持つ広い敷地の屋敷もあった。また、明治時代建築の商家を改築し、内部を公開し又情報発信基地として整備された「いかしの舎」は一見の価値がある。
 県道より南部を歩くと水路が縦横に巡っており、水草が茂り魚が泳いでいた。前潟という地名も残っており、干拓事業の苦労のあとが偲ばれる。

 









訪問日:2002.08.14
(2012.02.05再取材)
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