大分県日田市<城下町> 地図 町並度 6 非俗化度 5 −天領という言葉が代名詞の水郷の町− |
隈二丁目の町並 | 隈一丁目の町並 |
日田市は大分県の西端にあり福岡県に接する。ここには日田駅を挟み南側の筑後川に近い隈町、線路を挟み反対方向の豆田町に古い町並を残している。 | |
三隈川(筑後川)沿いの風景 | |
隈二丁目の町並 | 川原町の町並 |
日田の町が紹介されるとき、必ず天領という言葉が登場する。天領とは江戸時代、幕府の直轄地だったところを意味する。実は幕府直轄領自体は全国に無数に存在していたが、日田は全国に3箇所しかなかった群代(江戸幕府の官僚)が直接統治していた地であり、他の多くの天領の代官(地方官)統治のものとは格が違った。 幕府御用達の商人が興した町家群が今でも多く残り、天領ということばが代名詞のようにいわれるゆえんである。 町の歴史は古く、江戸初期の慶長時代には既に町場が形成されていたといわれ、南部の日隈山と北部の月隈山に築城され、現在の隈町・豆田町の基礎となる城 下町が建設された。盆地であることから周辺各地の物産が集結しやすい土地であったこと、そして川運により物流の利便性が高かったこともあり商業が著しく発展した。日田金と呼ばれる、今でいう金融システムが存在していたことからもそのことがわかる。 筑後平野に流れ下る三隈川(筑後地方に入ると筑後川と呼ばれる)に接する位置にある隈地区は、その水運を得て城下の商業の町として発達した。商取引で資本が蓄積され、酒や醤油などの醸造業が発達した。 現在は温泉地ともなっており、一部には大型のビル型旅館も見られるが、町家・商家建築、土蔵等も多く見られ、保存地区の豆田町とはまた違った雰囲気の古い町並が展開している。こちらの方が間口が広く、堂々とした外観の建物が多い。隈町のみならず川沿いに川原町、竹田新町にかけて約1kmにわたり断続的に残っている。 一角には日田祇園祭の際に町を廻る山鉾を収納する建物もある。また三隈川の中州から界隈を眺めると、この町がいかに水の豊かなところで、水郷と呼ばれているかがよくわかる。シーズンには鵜飼も行われ、温泉や町並ともども様々な魅力を感じることのできる町である。 |
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亀山町の町並 | 竹田新町の町並 |
訪問日:2003.11.02 2016.07.17・18最終取材 |
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