日田豆田町の郷愁風景

大分県日田市<城下町> 地図
 
町並度 7 非俗化度 3 −天領という言葉が代名詞の水郷の町













 日田市は大分県の西端にあり福岡県に接する。ここには日田駅を挟み南側の筑後川に近い隈町、線路を挟み反対方向の豆田町に古い町並を残している。
 日田の町が紹介されるとき、必ず天領という言葉が登場する。天領とは江戸時代、幕府の直轄地だったところを意味する。実は幕府直轄領自体は全国に無数に存在していたが、日田は全国に3箇所しかなかった群代(江戸幕府の官僚)が直接統治していた地であり、他の多くの天領の代官(地方官)統治のものとは格が違った。
 幕府御用達の商人が興した町家群が今でも多く残り、天領ということばが代名詞のようにいわれるゆえんである。
 町の歴史は古く、江戸初期の慶長時代には既に町場が形成されていたといわれ、南部の日隈山と北部の月隈山に築城され、現在の隈町・豆田町の基礎となる城 下町が建設された。盆地であることから周辺各地の物産が集結しやすい土地であったこと、そして川運により物流の利便性が高かったこともあり商業が著しく発 展した。日田金と呼ばれる、今でいう金融システムが存在していたことからもそのことがわかる。
 豆田町は中世から城下町として町場が形成されていたとされる。江戸初期には南北2本、東西5本の町割が行われ、町人町として有力な商人が居住した。
 現在、豆田町界隈は重要伝統的建造物群保存地区への選定を受けて探訪客が多く訪れ、観光地の様相を示している。伝統的な建物も、外来客に眼を向けた形で土産物屋や食事どころとして営業されている姿が目立つ。ただその度合いは町並景観を崩すほどではなく、また建物の素材がもともと良いため、古い町並としての探訪の仕甲斐は十分にある。
 代表的な建物は町の中心の街路が屈曲する位置にある草野本家で、蝋の生産などで富を築いた商家である。重要文化財に指定された建物は部分的に修復工事を行いながら公開されている。
 
 





後半2枚:2011年5月撮影, その他:2016年7月撮影
※文章の一部は「日田豆田町の郷愁風景」と共通
訪問日:2003.11.02
2016.07.17・18最終取材
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