岩松の郷愁風景

愛媛県津島町<港町・漁村> 地図 <宇和島市>
 町並度 6 非俗化度 7  −鰯漁と塩田で栄えた宇和海沿いの町−






 岩松の町並 右は現役の旅館

 

 津島町は宇和島市の南に接する宇和海に面した町である。
 宇和海沿岸は現在はハマチ等の養殖や真珠産業が主な海産業となっているが、江戸期から戦前にかけては、西国一の鰯漁の盛んな地域であった。
 この地は江戸期に入り幕末まで宇和島藩領であった。藩は干鰯を特産物として統制管理していた。網元は漁獲物を毎月藩に届出る定めになっていたといわれ、それらは全て干鰯に換算されていて、「鰮幾俵」と記されていたという。
 水揚げされた漁獲物も日々藩によって厳しく管理されていたようで、漁師はその日の漁獲物を庄屋格の網元に届出て、藩の指定商人に全て売り渡したといわれる。網元は漁獲高20桶以上の場合に限り、自家用として1桶、網子の漁師には2桶を分配していたが、自家用であっても残りが出た場合は売り戻さねばならない。干鰯は藩の重要産業であったのだ。
 一方で塩田開発も古くから行われ、元禄時代に「近家浦塩浜新田御役人申渡」等の史料があり、当時には既に塩田が発達していたとされている。19世紀初頭その塩田の多くは宇和島の豪商小西惣三郎に払い下げられている。小西家は貞享年間(17世紀後半)より南予地方を代表する豪商・地主として君臨した。後に蝋座頭取役も勤め、苗字も許され藩の御用商人となっていた。









 岩松川に沿った街路上に町並が伸びている。道は緩やかにカーブしており、町並の次の展開への期待感を抱かせる。平入りの町家建築が連なる箇所もあり、古い町並として質の高いものが残されている。裏手には船着場があり、直接荷揚げできる構造になった商家も多かったという。
 洋風の構えを持つものもあり、また旅館の看板を掲げるものも複数見られた。少なくとも二軒は現役のように感じられた。
 重伝建地区への動きもあると聞いており、今後も継続して選定を目指してもらいたいものだ。





※2019.08再訪問時撮影

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訪問日:2003.08.15
2019.08.12再訪問
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