柏原の郷愁風景

兵庫県柏原町<城下町> 地図  <丹波市>
 
町並度 4 非俗化度 6  −織田氏に統治された小城下町−
 




町家型建築の見られる柏原の町並
 

 柏原町は篠山市の北西約15km、旧丹波国に属する山間の町である。今では人口1万足らずの小さな町であるが、江戸時代ここに柏原(栢原)藩が成立していた。
 慶長3(1598)年に織田信包が3万6千石の領主としてここに定着したことに始まり、その後3代目信勝の時に後継者がなく、約半世紀は幕府領であった。しかしその後元禄年間に大和国松山(現在の奈良県宇陀郡)から織田信久が入部し、以後明治維新までここは信長直系の織田氏による藩政の地であった。しかし信久入部の折、2万石に削減されたことや、山間の地であり広い耕地にも恵まれることなく、藩の財政は常に安定とは無縁であった。元禄8(1695)年には江戸の火防役や、安永元(1772)年には大和川の普請役を命ぜられたりして困窮し、藩は領内の百姓に毎月定額の醵出金を課したりしてしのいだという。領民は終始、その取立てに追われ苦渋の生活であったといわれる。
 市街地の東部に柏原藩陣屋の跡がある。信久の移封後20年を経た正徳4(1714)年に造営され、表御殿、中御殿、奥御殿をはじめ藩校の崇広館も併設され2万m2の敷地に展開する大規模なものであった。火災に遭ったりして現在は長屋門と表御殿の一部を残すだけとなっているものの全国的にも貴重な遺構である。
 この陣屋跡付近から西、洋風建築の町役場と町のシンボルである大ケヤキの辺りにかけてが旧武家町で、下之小路・中之小路・上之小路などの南北の筋がその中心であった。現在でもそれらの小路の多くは現存し、住民も意識されてか生垣や塀などが整えられており、わずかながらも城下町時代を感じることができる。




 
   
 西側のもと町人地は、今は市街中心となっているため建物の多くが更新されている。そんな中でも商家建築が残る一角があり、中二階で角虫籠窓を残す旧家もある。散在的ながら比較的広範囲に見られ、こうした家々が連続していたであろうかつての姿が想像できる。
 古い町並という点ではやや物足りなさを感じるも、城下町らしい町の姿が感じられ、深い歴史の上に成り立っていることを思わせる。


 
 

 

洋風の建物も見られる 左:旧町役場(現在も支所として現役) 右:旧氷上高等小学校 

2021.06再訪問時撮影   旧ページ
訪問日:2003.09.07
2021.6.27再訪問
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