貝塚の郷愁風景

大阪府貝塚市<寺内町> 地図
 
町並度 6 非俗化度 6 −海の匂いも感じられる和泉の寺内町−
 




 



 
北町の町並


 貝塚の寺内町の起源は16世紀半ばに遡る。一向宗の門徒によって開かれたこの町は、現在の貝塚駅の西側に今でも色濃く残っている。中心は願泉寺で、草庵であった無住のこの寺を、紀州根来寺から卜半斎了珍
(ボクハンサイリョウチン)が迎えられ、本格的な町づくりが始められている。
 江戸期には卜半家を領主とする寺領となり寺内町は江戸末期まで存続した。周囲に濠を巡らして自治都市的な装いを保っており、町外とは4つの出入口で結ばれていたというが、岸和田藩の足軽2人組が交代制で米・酒の出入りを取締り、町人の検問を行っていたのだそうである。
 一方でここは諸役免除も認められ、海に面していることや、木綿や菜種油などの生産地を近くに有していたため産業も発達し、乾鰯屋・油屋・鍛冶屋・木綿屋・質屋などが軒を寄せ合っていた。中でも最も古い歴史を持つ櫛産業は近木櫛(和泉櫛)と呼ばれ、江戸中期には500人以上とも言われた櫛挽職人は今では激減したが、細々ながらも生産が続けられているそうだ。
 古い町並は願泉寺に近い北町(堀之町)を中心に見られる。ここでは寺内町の年寄を務めた利斎家が残るほか、土蔵をもつ豪勢な旧家が幾つも見られ、町並散策の雰囲気を高めてくれる。町の西側はかつて海に面しており、ここから西町・南町にかけ、港町を彷彿とさせる小路が錯綜し、路地散策が楽しめる。方々に手付かずの虫籠窓を携えた中二階の家を見ることが出来、軒先では住まわれる方が鉢植えの手入れなどをされている光景に出会う。全く素のままの町並である。願泉寺前から反時計回りに北町・西町・西町と歩けば寺内町の主だったエリアは押えることができる。
 南町から南海電鉄の駅に戻る途中には近木町という街区を通る。今回の再訪に当ってこの地区は新たな発見となった。市街地から見ると台地上に位置し、また町の風景も寺内町とは異なるものであり、伝統的な料亭と思われる格式ある建物や、旅館を思わせる佇まいなど、客商売の賑わいを感じさせる雰囲気に満ちている。ここは明治以降、紡績業などが集積し人口が増加した折、市街地と駅との間にあった畑地を遊興地として開発・整備した名残であるという。町並としても見応えがあり、貝塚の町の多面性を見るに外せないところである。
 
 

 

 南町の町並  近木町の町並
 

 

 近木町の町並
       
2022.11.19再訪問時撮影    旧ページ  
訪問日:2003.07.13
2022.11.19再訪問
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