亀岡の郷愁風景

京都府亀岡市<城下町> 地図
 
町並度 6 非俗化度 6 −碁盤の目の町割が現在も生きる明智光秀の城下町−





本町の町並


 かつて亀山と呼ばれたこの亀岡には、明智光秀により天正5(1577)年に亀山城が築城された。城下町は慶長15(1610)年岡部長盛の時に天下普請で完成し、それは内堀と外堀、そして更に町の外側に、御土居と呼ばれる土塁と惣堀と呼ばれる堀で囲んだ厳重堅牢なものであった。丹波国南東部の中心として亀山藩も成立し、京都の背後に位置する要地であることから譜代大名による藩主交替が頻繁であったが、後半は松平氏の支配が100年余り続いて維新を迎え、その折に伊勢の亀山と区別するために亀岡と改称され、現在に至っている。
 亀山城は現在も旧市街地の中心にその姿を留め、その南側を中心に往時を思わせる家並が残る。この地区は幹線道路から外れ、城下町らしい町が連なる。かつての山陰道も通り交通の要所であり、商業も発展した所である。妻入りの見応えのある商家も見られ、印象的な町並景観を示している。
 塩屋町は塩屋、または庄屋があったことから訛ったという説。旅籠町は山陰道沿いで宿場が設けられ、本陣も存在していた。それらの地区は碁盤の目状の通りで区切られ、漆喰で塗込められた平入りの町家が散見された。カラー舗装町に整備された街区もあり、古い町並を意識してのものかは判らなかったが景観整備が行われている区域もあった。
 亀岡市は京都市内からも30分ほどの位置であるが、その蔭に隠れてかこの町を目的として訪ねる客は少ない。それが観光地化していない落着いた家並が今に残っている結果につながっているといえよう。ここに掲載する画像は前回から20年振りの再訪となったものだが、公的に保存されているわけではないので古い建物の一部は失われたようである。しかし造り酒屋をはじめ町家・商家の佇まいが古い町並を構成していることには変りなく、貴重な姿と言えるだろう。
 
 



 
 紺屋町の造り酒屋 矢田町の町並 
 



 
 横町の町並 柳町の町並 



柳町の町並 

2023.10.再訪問時撮影   旧ページ
訪問日:2003.10.05
2023.10.21再訪問
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