第12号 (14.10.15発行)

みたらい万華鏡 -重伝建20年−
      
関連ページ 御手洗の郷愁風景


大崎下島の東部に展開する御手洗集落の風景

 瀬戸内海中部に浮ぶ大崎下島。かつて大型船・動力船が発達していない時代は風任せ波任せの航行が主体で、波穏やかな瀬戸内は多くの船舶で賑わい、港も多く発達した。
この御手洗地区は江戸中期以降、北前船(西廻り航路)の寄港地となり、船員の多くの休泊するところとなった。それらを仲立ちとして商取引も多く、また廻船を営む者も増えて、今の島の小さな集落といった雰囲気からは考えられないほど賑わっていた。とりわけ特筆されるのが遊女の存在で、遊興に手を染める余りここに住み着く船乗りもいるほどだったという。
 廻船業をはじめとする伝統的な町家、洋館等がまとまって残ることで、国の重要伝統的建造物群保存地区にこの御手洗が選ばれてから今年で20年、地元住民グループによりこのほど記念イベントが開催されると知り訪ねた。




御手洗の町並を代表するもの 一つは連続する町家(商家)建築 もう一つは洋館である
 

 自治体主催による本格的なものではなく、地元の有志によるイベントであるらしくささやかであり、またほほえましくなるようで、御手洗らしいイベントだと思った。
 遊女屋の遺構である若胡子屋、附近はサイクリングスタイルの人、カメラを持った人、そして地元の人で賑やかだ。若胡子屋の館内では、なつかしの写真展として明治頃の最盛期頃からの貴重な写真が展示されていて思わず見入る。町並でも最も印象的な建物の一つだが、内部は鋼材で補強されている姿が目立つ。躯体の補強のためには仕方ないとはいえ、満身創痍の感はぬぐえない。




若胡子屋附近 遊女の歴史をはらんだ建物だ




若胡子屋の内部で行われていた写真展
 

 私が一番期待していたのがこの町を代表する町家「鞆田家住宅」の特別公開だ。町家の連続する一角や若胡子屋からは少し外れた位置にあり、通りを挟んで洋風の別棟を持つ。
 外部から見えるのはこの母屋・別棟だけだが、実は奥行がとても深く離れや茶室、土蔵などを従え、さらには通りを隔てた洋風の外観のもと芝居小屋「乙女座」は、当家が私財を擲って建てたとのことである。幕末から明治にかけて廻船業を営み、金融業にも手を広げて大きく発展した旧家であった。
 当住宅は現在でもお住まいのため、残念ながら内部を撮影することはできなかった。しかし細部にも凝った豪勢な造りには驚くばかりだ、公開見学は地元の方の詳しい解説により行われ、参加者一同どよめきが起る場面も多かった。密談時を想定した隠し階段、一方で中庭を望む優雅な茶室など、島の邸宅とは思えない(こう思うのは偏見ですね)豪勢なものだった。
 案内された地元の方でさえ内部を詳細に見たことはないとのこと。お住まいのお宅だから当然だろうし、だからこそ我々が訪ねられるというのはとても貴重なことだ。案内を受けているうちに、撮影ができないことなどどうでも良くなってきた。
 




特別公開の鞆田家とスタッフ・参加者




撮影禁止とのことで 玄関先のみ・・・


案内を受けた「寄棟屋根」「潰した虫籠窓」も町並を歩くだけでは余り目に留まらないものだ
 
 実は町家公開をはじめとした催しは翌日も開催される予定だったが、台風の接近により中止となった。当日も当初は影響のある予報となっていたためか、今ひとつ人出が少ないようにも見受けられた。
 ただ、このイベントは収益等は度外視したものであろうし、今回の重伝建20年イベントとしてに限らず毎年でも開催してほしいと強く思う。
観光客を呼び寄せるように傾倒したイベントでない限り、こうした催し、取組は大歓迎である。


なお、当日動画撮影も行っており、施行段階ですがこちらにURLを表示しておきます。
(町家編) http://youtu.be/Q-JdNJ4z5AQ
(乙女座編) http://youtu.be/NHPng--eM4M
(洋館・店舗編) http://youtu.be/3bhd3EJz2qU


※取材日:2014年10月12日

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