杵築の郷愁風景

大分県杵築市<城下町> 地図
 
町並度 7 非俗化度 4  −城下町としての都市区画が今でもはっきりと残る−
 杵築は国東半島南端付近に位置し、南東は穏やかな内湾に面し別府湾につながっている。
 かつては木付と表記され、中世に木付氏の居城があったことに由来する。
 江戸期は松平氏の城下町として廃藩まで続いたこの町は、自然の地形を活かした独特な展開を示し、訪ねる者に町並風景の変化を興味深く感じさせる。
 


 
杵築城址より南台の崖を望む 左は八坂川




南台の武家屋敷街

 旧市街は東端の小高い丘の上に杵築城跡、その西側に低平な地が僅かに開けるが、すぐに丘陵が舌状に張出してくる。この台地の上に武家屋敷を配置していた。中間に谷間を挟んで北台・南台と呼ばれ、北台には上級武士を、南台には中級武士の居住地であった。一方台地を切り裂くように東西に伸びる細長い谷間の地区は町人町として商家が発達していた。遠方の見通しの利く高い土地に武家を配置することは、防衛上も有利であっただろう。南には八坂川を控えており、要害の地を設けるのに絶好の地形をしていることがわかる。
 武家街と町人町を結ぶ坂道もまた、この町並を特徴付けるものとなっている。勘定場の坂、酢屋の坂、飴屋の坂など当時からの呼び名が生きている。特に南台の志保屋の坂から酢屋の坂を望む風景は素晴しく、高い石垣の上に茅葺の母屋を持つ大原邸にかけての眺めは杵築を代表する風景としてよく紹介される。この大原邸は、京都の職人による池を配した回遊式庭園があり、かつて森を拓いた土地であることを伝えるように巨樹が残されている。屋敷は代々御用屋敷として名士の所有するところとなり、最後に大原氏の邸宅となって役目を終えた。ここでは抹茶を飲みながら縁側にしばらく腰を下ろしてみるのがよい。南台武家屋敷街では中級武家街ということもあって、残っている長屋門などもやや小さくなるが、練り塀の続く通りもあり、街路幅も広いため開放的な明るい雰囲気の町並であった。
 酢屋の坂を下ったところに伝統的な町家建築があり、味噌を商われている。この綾部味噌は創立当初酢商であったそうで、坂の名前の由来である。
 



志保屋の坂から北台を見る



酢屋の坂から南台方面を見る



北台地区の武家屋敷街


 北台・南台の武家屋敷街は2017年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。しかし、谷間の町人町の区域は除外された。それはこの地区が近年道路拡幅工事により原形を失われたことと無関係ではあるまい。初回訪問時(2001年)はまだ商家建築も多く残っていたが、現在は道路拡幅によって姿を変え、酢屋の坂下の味噌商くらいしか面影がなくなり、古い町並とは言えない状態になってしまったことは惜しまれる。
 杵築城址に上ると、八坂川岸より南台をなす急崖が立上っているのが見え、独特の地形であることがわかる。対照的に八坂川は国東半島基部を流れ下る小河川であるにもかかわらず、広い河口幅は大河の趣でその先には遠浅の干潟が望まれる。
 
 

北台地区 この先勘定場の坂となり向いは杵築城の丘となる  

※2021.11再訪問時撮影    旧ページ

訪問日:2001.09.23
(2021.11.14最終取材)
TOP 町並INDEX