小諸の郷愁風景

長野県小諸市<城下町・宿場町> 地図
 
町並度 6 非俗化度 5 −坂の上に町が開ける東信の藩都−
 




本町の町並


 小諸市は浅間山を北東に仰ぎ、千曲川右岸の河岸段丘上に市街地が立地している。町中は意外にも坂が多く、坂の町と呼ばれ、小諸駅は坂の下、そしてその更に下の千曲川に面する谷間といえる位置に小諸城址(懐古園)がある。城よりも城下町が土地の高い所にあるという例は珍しい。小諸城が穴城と呼ばれるのもこうした独特の立地による。また濠を穿たず、浅間山の火山灰で出来た脆い崖を要害に利用したことも珍しい。「酔月城」とも別称され、史蹟だけでなく桜や紅葉などの季節の風景も楽しめる市民の憩いの場ともなっている。詩人島崎藤村が明治中期の六年間滞在し、名作を起稿した地、そして正岡子規に師事した俳人高浜虚子が太平洋戦争中、疎開のためここに逗留するなど、文化と自然が程よい融合を保つ町である。
 小諸城は中世中期から構えられ、様々な城主の転変を経た後、甲州の武田氏が川中島への出陣拠点として重視し、この頃現在残る外郭が完成している。江戸時代は牧野氏が支配し、小諸三町とよばれる城下町を整えた。小諸藩の石高は当初6万石であったが、その後牧野氏の時代は1万5000石とされた。しかし佐久地域北部の政治の中心としての役割は大きかった。
 この小諸三町(市町・本町・与良町)は北国街道筋でもあり、宿駅として指定され加賀藩主・前田氏をはじめ各国大名が参勤交代の折この小諸宿を利用している。市町には本陣(国重文)が、周囲に威圧感を与えるほどの重厚な妻入・出桁造りの姿で残る。街道に面しては一階部・二階部には見事な格子が施され、妻壁に柱を見せる真壁造りだ。
 本陣の付近から北へ向うと一直線の坂道となり、途中国道と交差する辺りで枡形となるのも宿場町の面影を感じさせ、その先の本町にかけて古い町並が続く。関東風の黒漆喰に塗られた店蔵、平入りの町家などがある程度まとまって残り、地元も意識され修景にも配慮されているようだ。この辺りは商家風の建物で、関東平野から碓氷峠を越えた最初の城下町ということもあり、周辺各地から物資が集結し、卸問屋が発達したという。小諸商人という言葉も広く知られていた。
 さらに旧北国街道は東に折れ、荒町・与良町と続く。等高線に平行に近くな坂は緩やかになる。縦に交わる路地は全て急坂だ。この界隈は商店街として店舗に建てかわったものが多く、やや古い町並としての純度には欠ける。しかし数十年前の懐かしい感じのする店が並び、昭和の町並が残る。所々に味噌商などの老舗が挟まっているのが趣深い。
 この町で私は「つたや旅館」という200年以上の伝統を持つ宿屋に一泊し、ご主人に様々なことを伺うことが出来たが、町の活気がない、財政難などと余り景気の良い話は聞かれなかった。しかしそのことが皮肉にというか、古い町並が大きく取壊されることなく残される結果ともなっている。
 千曲川の流れから穴城の小諸城、斜面上の城下町・街道筋と立体的に展開する独特の町並は本来は半日ほどはかけてじっくり味わいたいところだが、私は翌朝の出発まで1時間余り町並を歩いただけの慌しい探訪となった。いつかは必ず再訪したい町である。 


 
別ページで本町の古い町並の中にある「つたや旅館」の簡単な紹介を致します。




本町の枡形にある丁子庵(蕎麦)関東風の土蔵建築である。 市町の旧本陣




本町の町並 荒町の町並



荒町の酢久商店
訪問日:2006.04.08・09 TOP 町並INDEX