小諸の郷愁風景

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本町・「つたや旅館」





 松代から稲荷山、上田、海野宿などを訪ねた町並探訪の第一日の夜は小諸の「つたや旅館」であった。昼間は蕎麦処としても営業されている。この旅館は創業三百余年を数え、現在の建物も明治時代の蔵造りで、北国街道沿いの本町の古い町並の一部となっている。
旧北国街道沿い、古い商家の連なる本町の一角にある宿であった。


 

 
この宿は明治7年伊予松山に生れ、正岡子規に師事した有名俳人、高浜虚子が戦時中の疎開のために逗留したことでも知られ、滞在した部屋は現在もそのまま客室として利用され、私は運良くその部屋をあてがわれた。 坪庭に面した部屋は街道筋の喧騒など全く隔絶された静かな和の世界であった。壁面には虚子の句の掛軸や短冊がかけられていた。
 この旅館は近代的という言葉とは縁遠く、昔懐かしい宿屋の匂いが濃厚に漂う。単に古いだけではない。昔使われていた電話室がそのままの形で残されていたり、かつての入口のガラス戸が浴室へつながる通路に使われている。風呂場の脱衣所の体重計などもレトロな骨董品の趣である。昭和戦後の商品看板、数十年前の小諸駅の時間表など、古い物へのこだわり、大切にする心意気が強く伝わってくる宿であった。
 そして夕食は見たこともないような山菜の数々、佐久地方特産の鯉料理、名物の蕎麦など郷土料理を中心に多数の品数が供され、私は満足を通り越してすべて頂くことができなかったが、そんな良心的な心づくしの宿である。食事をしながらご主人とさまざまな話ができるのもこうした宿屋ならではである。

 
帰り際残念ながら、今年一杯で廃業されるかもしれないという話を伺った。色々な事情があるのだろうから安易にやめないで欲しいとは言わなかったが、こんな古風で素朴な宿屋が失われるのは非常に惜しい。願わくば生きた施設として、保存していただきたいものである


 




玄関風景 かつて使われていた電話室がそのまま保存されている。




 
高浜虚子先生の滞在された部屋

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