木屋瀬の郷愁風景

北九州市八幡西区<宿場町> 地図 
 町並度 5 非俗化度 5  −遠賀川水運との結節点にある長崎街道の宿場町−





木屋瀬の町並 東構口付近には特に重厚な建物が残る(右)



 五街道に次ぐ脇街道としての位置付けがなされていた長崎街道の中で、豊前小倉より黒崎・木屋瀬(こやのせ)・飯塚・内野・山家(やまえ)・原田(はるだ)が筑前六宿といわれ、とくにこの木屋瀬は赤間道の追分として、また水運の拠点として川港となり、絞櫨業(ハゼの木から蝋燭の原料を生成する職業)、石炭運搬業などの産業も興り大いに発展した所である。現在北九州市の一部であるが地理的には直方市に近く、旧筑前国内である。
 町並は東の構口跡から西端の赤間道追分までの1km弱に展開している。赤間道は宿場を出外れるとすぐ遠賀川に突き当たり、渡し舟に拠っていた。
 年貢米の積出港ともなっており、船庄屋が20余艘の川舟を一括管理し運用していた。もと船庄屋だった梅本家の建物も江戸期の建築のまま残っている。
 旧宿場内は都市近郊地域であることもあり、連続した古い町並が展開する箇所は多くはない。しかし、散在的ではあるが宿場の遺構は残っており、高崎家、松尾家、東構口付近で濃厚に感じ取ることができる。高崎家は町年寄、大庄家格も務めた商人の指導的立場にあった旧家で、天保年間の建築と推定されている。内部には箱階段、ロクロ式の側窓、昼は玄関、夜はくぐり戸に変身する大戸口、背面の船底屋根など、工夫と意匠を凝らした造りは如何にも大商人の余裕を感じさせる。また、東構口付近では入母屋造り妻入の大柄な商家建築が街路を挟んで対峙し、迫力ある町並風景を創出していた。






 全体に漆喰の塗屋造りが多く、多くが宿駅業務よりも商家として栄えた旧家の名残といえよう。二階部分の矩形窓、鉄窓などには九州の町家建築の特徴がよく表れている。
 なお、多彩な史料が充実している木屋瀬宿記念館も見所である。







訪問日:2002.03.03
2015.01.01再取材
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