玖波の郷愁風景

広島県大竹市<宿場町> 地図 
 町並度 4 非俗化度 8  −袖壁の多く残る山陽道の宿駅−





 


 

玖波の町並 
 

 大竹市の東部に位置する玖波地区は、山陽道の安芸国西端の宿場町であった。今は一見都市近郊の住宅街であるようだが、国道がこの地区の旧街道を踏襲せず一本山側に残されたために、玖波の町並は現在でも宿場時代の趣を留める結果となっている。
 当宿には本陣も存在したが、牛馬、駕籠などの手配その他一切の駅務は近隣の村の人が請負っていた。これを助郷制と呼んでこの近辺では盛んであった。
 江戸末期の安政6(1859)年の戸数・人数は412・2146と記録され大きな町場が形成されており、宿駅業務のみならず商工業も盛んだった。産業としては農業よりも背後の山間部より板材木・山荷物・薪炭・茶や紙などが供給され、問屋商が多く立地し商業町の様相も示していた。また干鰯・塩なども各地と交易が行われた。
 慶応2(1866)年の長州の役の折には本陣をはじめほとんどが焼き払われ、現在見られるものは古くともそれ以後に復興されたものである。家々の2階の立上がりが高いのもそのためだ。しかし袖壁・格子といった意匠は残り、「板材木」の文字が入口に見られる旧家は、町並を代表する風景であろう。
 辻には高札場の跡が残り、そこには当時の宿場の貴重な飲料水であった井戸「角屋釣井」がある。町並の中で訪問客に対して設置されたものはここに立てられた宿場の説明板だけであった。
 久々に再訪してみるとやや古い町並的雰囲気が淡くなっているようであった。数軒であっても古い建物が失われると、町並景観に大きな影響を与える。今後も町の歴史を語り継いでいけるよう、これ以上更新が加速することがないよう願いたい。
 




 
   釣井と呼ばれる井戸 この場所に高札もあったという
   
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訪問日:2001.01.11
2020.06.20最終取材
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