黒木の郷愁風景  

福岡県黒木町<城下町・在郷町> 地図 <八女市>
 
町並度 5 非俗化度 8  −妻入り漆喰塗込めの町家が残る南筑後の城下町−













黒木の町並


 県の南部、山越しに熊本県と接する位置に黒木町はある。町域のほとんどは山林で占められ、矢部川に沿ったわずかな平地に市街地が開けている。ここは城下町として中世から発展していた歴史の古い町だ。
 伝説によると、大隅国根占城主であった黒木助能が12世紀後半にこの地に築城し、猫尾城(黒木城)と呼ばれ、数々の支城を抱えて一帯を支配した。しかし度重なる難にさらされ、1336(建武元)年、足利尊氏が肥後の菊池氏を破った際、黒木に敗走してきた菊池軍を追ってこの黒木城を攻め落としている。また、戦国末期の1584(天正12)年には城主黒木家永が豊後の戦国大名大友氏に攻められて落城したと伝えられる。やがて一国一城令によって廃城となり、廃材は久留米城の修築などに利用された。
 江戸期は矢部川を境に北が久留米藩領、南が柳川藩領となっていた。久留米藩側を中心として街道筋の整備が行われ、いわゆる谷口集落として周囲の山間部から産物が集まるようになったことから種々の商取引も行われるようになった。藩内の5つの在郷町の一つとして位置づけられていた。
 現在の町は国道442号線が横断しかつての町の中心は分断されているが、その南側の界隈に少しまとまって残っている。ほぼ妻入りに統一され、白漆喰に塗り込められ2階部には矩形のガラス窓または鉄窓が付く。正面両側に錣(しころ)庇をつけた姿はいかにも九州らしい町家の姿である。
 黒木の町並は、近年重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けた。前回訪ねたとき、質的に良いものがあるのだが軒数・規模的にはぎりぎりの所といった印象であり、このまま意識されないと古い町並として消失してしまうのではと危惧を抱いたが、国の補助を得て踏みとどまったのは喜ばしいことだ。

訪問日:2003.03.23
2016.07.18再取材
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