| 大阪府八尾市【寺内町・門前町】 地図 町並度 5 非俗化度 7 −往時の町並規模の大きさを実感する河内の寺内町− |
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河内地方のほぼ中心に位置する八尾市は大阪市東郊の住宅地・工業地となっており、近鉄線・JR線が市域を横断しており交通の便もよく、郊外地というイメージを受ける。 伝統的な古い町並が残っているというイメージは湧きにくいが、市域西部の久宝寺地区には顕証寺門前を中心に面的に残るエリアがある。 |
| 久宝寺の町並(登録有形文化財・浅野家住宅) | |
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JRの駅前から北にやや雑然としたところを500mほど進むと、俄かに街路が狭く交錯し、軒が接した家並となる。やがて顕証寺がみえ、町並は寺の北側およそ東西500m・南北300メートルの範囲に展開している。町名の由来となった、聖徳太子による建立と伝えられる久宝寺は現存しないが、久宝寺はこの顕証寺を中心として一向宗徒が集い、寺内町として発展している。天文期頃には町場としての特権も認められていたようで、二重の濠と土塁で囲われ、六つの入口にはそれぞれ門番が付いていた。 藩政時代にはこの寺内町を基盤に商業都市として一層の発展を見ている。寺内町内に八尾街道が取込まれていた事も大きく、交通の利便を得て飛躍的に繁栄した。幕末の慶応期には商人・職人の家は167軒もあり、質屋や紺屋・畳屋・醤油屋・鍛冶屋・米屋・瓦屋などその商いも多岐に渡っており、中でも繰綿などの木綿産業が盛んで、久宝寺木綿と称され高い知名度を有していた。 在郷商業町としての姿は現在も町並として風情を残している。碁盤目状に直行する道筋は計画的に町づくりが行われたことを示し、多くでは近代的な住宅に建てかわっている中で、頑なに中二階形式の古い町家の姿を残す家々が挟まっている。南北の筋と東西の筋が細かく直交する旧来のままの街路形態で、特に東西方向の街路に古い町家が良く残っているように感じられた。 今回再訪してみて、地元の方々の古い建物や町並への認識が高まっているのを感じた。町の歴史や地図などを示した案内板も設置され、訪問者に対する体裁も整えられていた。そこで初めて知ったことは、顕証寺の南側から寺内町の四囲を取り囲むようにかつて土塁と濠が築かれていたということだ。見ると案内板の付近に土塁の一部が形を残していた。さらに濠から町中に何本か水路が引かれており、その一部は今でも見ることが出来る。 |
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![]() 水路が残る「大手町通り」 |
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2025.05再訪問時撮影 旧ページ
| 訪問日:2003.07.18 2025.05.21再訪問 |
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