神戸市中央区【港町・洋館群】 地図 町並度 5 非俗化度 3 -国際港を象徴する洋風建築群- |
![]() 旧居留地地区の町並 町並的に連続性が感じられる箇所もある |
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海岸通の町並 神戸メリケンビル(旧神戸郵船 1918) |
海岸通の町並 海岸ビル(旧三井物産神戸支店 1918) 神戸商船三井ビル(旧大阪商船 1912) |
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旧居留地15番館(1880・重文) | 神戸市立博物館(旧横浜正金銀行神戸支店 1935) |
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戦後になって竣工したビルも景観に溶け込んでいる(高砂ビル) | 神港ビルヂング(旧川崎汽船本社ビル 1939) |
神戸の旧居留地は、幕末期に横浜や函館をはじめ5つの港を国際港として開港したことにはじまる。 それ以前は西側の兵庫津が主要港で、西国各地から畿内へ向う諸船が必ず改めを受けた港でもあった。国際港は兵庫津より東の神戸村に設置されたが、神戸村は現在の姿からは想像に及ばぬほどの半農半漁の寒村で、ここに新規開発同然に国際港湾都市が築かれることになった。イギリス人技師の手により街路が整備され、次々と建設される外国人用邸宅地。しかし中国人のみはこの居留地内に住むことを許可されなかったため、地区外に居住区を形成し、それが現在の南京町である。 地区は500m四方という狭いものであったが、兵庫県知事をはじめ各国領事館、居住外国人の代表などで構成されたメンバーにより独自の自治が行われた。政治的不安定さと鎖国時代の残影から隔離的に建設された町ではあったが、その姿は世界的にも注目されていた。 明治32(1899)年居留地は日本政府に返還され、その後は貿易港としての重要性が高まったことや第一次大戦時の好景気もあり、神戸は一大都市として繁栄しその中心が旧居留地を含む元町地区であった。港湾関係などの施設も集中し、そのためこのような洋館群が建設される結果となった。現在居留地時代そのものの建物は旧居留地15番館のみで、多くは明治末期から戦前にかけて建てられた近代洋風建築である。 この付近は第二次大戦時に空襲を受けているし、また阪神淡路大震災時にも大きな被害を受けている。それを乗越え近年では観光資源としても活用されている。 洋風の建物が単体で残っている例は数多くあるが、このように複数が町並的に展開しているところは全国的にも少ない。ただし、個の存在感は商家・町家に比べより大きいため、一棟でも失うと景観的に大きく変化してしまう。さしあたっては地区の代表的な洋風建築の一つである商船三井ビルが2027年にも所有者の商船三井が老朽化等を理由に入居テナントに賃貸借契約を終了し、2027年にも閉館するという情報がある。続報を注視しておきたいところだ。 |
2025.05再訪問時撮影 旧ページ
訪問日:2005.09.03 2025.05.03再訪問 |
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