西舞鶴の郷愁風景

京都府舞鶴市<商業都市(城下町・港町)> 地図
 
町並度 6 非俗化度 7 −北前船も寄港した丹後の商業中心地であった−






 京都府北部、丹後地方東部の舞鶴市は市街地が東西に大きく分かれ、西舞鶴・東舞鶴と呼び分けられており、JRの駅もそうなっている。ここではその内西舞鶴の町並を紹介したい。
 この町の成立ちは城下町が基盤となっている。丹後東部の中心として田辺城が築かれ、城下町が形成された名残が今でも町割として残っている。城は現在の舞鶴公園の位置にあったが現在は天守閣等は残っておらず一部の遺構があるだけだ。
 藩政時代は城の南側は泥濘ぬかるむ沼沢地、北側は海、城下町は二本の川で遮断され、自然を利用した要害上に町が立地した防衛上抜かりないものであった。
 舞鶴には京都からの街道と東西の若狭街道が交差する港町でもあり、商業が栄えるに申し分ない立地条件であった。深い入江に囲まれた舞鶴湾は波穏やかな良港で、西廻り航路が開設されると多くの貿易船がここを寄港地とした。港の背後地であった高野川河口付近には廻船問屋や商家が集積を極め、舞鶴一の繁栄を見ていた。竹屋町とよばれた一角で、ここの商人は北国との廻船を通じた取引を行い、西に離れた位置に注ぐ由良川の水運をも管理していたという。
 町は廃藩置県時まで城の名を取り田辺と称されていたが、紀伊田辺との混同を避け舞鶴と改称された。丹波亀山が伊勢亀山との混同を避け亀岡と改称された例といい、丹後・丹波は他地域に地名を譲ること多かったのだろうか。
  
 竹屋の町並
 

   




新町の町並 堀上の町並
 

 

 本町の町並 平野屋の町並
 

 
 丹波の町並 


 
 約20年近くぶりの再訪で、町並の基軸となる高野川が改修中で、水辺の家並風景が大きく姿を変えつつあった。その部分は幅の広い更地となっていたが、道路として利用されるのか、また別の用途に使われるのは判らなかった。その他の多くの地区では商家を中心とした古い町並が良く保持されており、地元の方々の認識・意識あってのことと感じる。
 高野川を中心として面的に比較的広範囲に古い町並が見られる。左岸側の地区は細い路地が主体で、平入・切妻の町家風建築の連なりが見られ、小売店が建ち並んでいた様子がうかがえる。右岸側の本町付近は商店街となっているが、土蔵の連なる風景や近代建築、古い銭湯建築など城と港を結ぶ最も賑わいを見せた地区で、本町の川への突当りには旅館「茶又」が厳かな佇まいを見せている。その他丹波、魚屋などと呼ばれる町の小路にも伝統的な家並が見られた。
 古い町並の地区から少し南東に外れた位置にある田辺城址は、当時のままの石垣と濠、復元天守閣が見られ市民の憩いの場となっているようであった。
 




 田辺城跡 高野川沿いの風景
   

2023.10再訪問時撮影   旧ページ

訪問日:2004.08.13
2023.10.21・22再訪問
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