舞鶴吉原の郷愁風景

京都府舞鶴市【漁村】 地図 
 町並度 7 非俗化度 7  −密集町家群ともいうべき独特の家並が見られる漁村集落−

 

 舞鶴市のうち西舞鶴地区の最も海に近い位置に漁村・吉原地区がある。城下町時代、当初は町の中心に近いあたりに漁師町があったが、享保12(1728)年の大火を機にここに移住したという。当時から続く歴史の古い漁村集落で、舞鶴の中心市街地の町尻と呼ばれていた。要は場末ということであるが、一方で漁業については自由に行えるよう特権が与えられていたようで、町場が発達した。 
 水路を中心に展開する吉原地区  
 



 
   


 伊佐津川河口右岸に面し、中央に運河のような細い水路がある。この集落を特徴付ける最たるものが家屋の密集度だ。水路に平行に延びる細い路地には地を行けども行けども家屋の連なりがあり、なかなか横道や脇道が現れない。その印象を強めるのが家々の間口の狭さだ。限られた土地を有効的に利用しようという密集型の集落は漁村ではよく見られる。
 しかし漁村という視点でこの吉原地区を訪ねると、町並景観的に幾つかの矛盾を感じる。まず一つは家々の外観が町家風であることである。二階部分を漆喰に塗り回し、また袖壁を持つものもあり、間口が非常に狭いことから家並の連続性が強調される。
 第二に町割が非常に整然としている点だ。街路は直線をなし、家々の区割も機械的で無機質であり、それは城下の町人町や大規模な宿場町のように、造成によって生れた町という印象である。やはりこれは城下町時代に計画移住によって町域が形成された影響なのか。しかも袖壁、二階部の窓など、建物の意匠も互いに類似している印象を受ける。
 家々の裏手は先に書いた運河となっており、それを背に二つのエリアに分けられる。西側一帯が東吉原町、東側が西吉原町となっているのも面白い。運河沿いには本来の漁師町らしい風景が広がっておりこちらも趣を感じる。
 付近の海域は干満の差が極めて小さく、水面と宅地との高低差は数十cmしかない。家々の裏手から間近な位置にある運河の水辺も日常の生活の一部だったに違いない。この点からもある意味水郷といえるような印象を抱き、それがこの集落の個性ともいえるところだろう。
 水路の下流側では多数の漁船が係留され、家々との距離が非常に近い。裏手に出て、すぐに船に乗り海に出ることができようものだ。
 その一角に社叢の茂みが見え、水無月神社とある。小さな案内板があり疫病や災難除けに寛保3(1743)年に創祀したとのこと、「なるかならぬか水無月さまよかけた願いが今日とける」と『舞鶴小唄』にも謡われている。
 
 



 
 東側は二筋の路地に家並が連なる 間口が狭く比較的似た外観の建物が連なるのが特徴だ 
 



 
 登録文化財の銭湯・日の出湯 下流部では漁船が舫われている 右は水無月神社


2023.10再訪問時撮影     旧ページ

訪問日:2009.08.15
2023.10.21再訪問
TOP 町並INDEX