真壁の郷愁風景

茨城県真壁町<商業都市(在郷町)> 地図 <桜川市>
 
町並度 7 非俗化度 5 -登録文化財の建物数日本一 町並を育てる意欲の町−
 真壁町は筑波山の西麓、山々に穏やかに抱かれるような位置にある町である。
 中世は真壁氏が築城し、現在の町割の基礎は戦国期には既に出来ていたと言われている。真壁氏は関ヶ原の役後佐竹氏とともに秋田に移り、その後江戸期の大半は笠間藩領となり、陣屋町としての位置付けがあった。


御陣屋前通りの町並




 新宿町の町並 真壁は薬医門・長屋門の多く見られる町です。 上宿地区の村井酒造


 


高上町の町並  御陣屋前通りでは一部の町家が公開されています。一階部分が大きく開放される店舗風の造りです。

 江戸期中期頃から真壁は商業の中枢としての位置を強めていった。軸となったのは筑波山麓から下館や栃木県真岡にかけて盛んだった木綿産業で、繰綿や木綿を扱う在郷商人が多数現れた。中でも中村作衛門をはじめとする数氏は江戸や京大坂の商人とも肩を並べるほどの豪商であったという。それに伴い酒造や製粉、窯業なども近世末期から地場産業として根付き、近年では酒と石の町として御影石が特産品として知られている。また鋳造業は真壁氏時代に発端を発するといわれるほど古く、近年では五右衛門風呂、寺の梵鐘は現在でも全国から注文がある。
 約1km四方に展開する旧市街地は街路が直交し、中世以来の計画的町割の存続を思わせる。江戸期には町屋村・古城村・飯塚村などに分けられており、陣屋が置かれていた町屋村は外縁を上宿町・下宿町・高上町、中町、新宿町の五丁町に更に分たれていた。その旧町屋村域を中心に至るところに商家の伝統的な建物が残り、古い町並の景観を多く残していた。
 町家は一部が江戸末期に遡るものもあるが多くは明治期のもので、切妻平入の形式を取り、角地にあっては一部入母屋造も見られ、その中でも下宿町にある潮田家は黒漆喰に塗り固められた圧倒的な存在感を示している。その正面に続く御陣屋前通りは名が示すようにかつての中心街で、大型の店蔵や土蔵が連続性を保って残り、また旧真壁郵便局のような洋風建築もあって見応えのある道筋である。その他の地区にも小柄ながら渋い町家建築が点在している。特筆すべきは街中なのに立派な薬医門を従えた屋敷型の邸宅が多く見られることで、市街地の外縁部ではそれが長屋門に変りさらに堂々とした構えになる。古城通りの鈴木酒造などはその代表的なものだ。士分格だけに許されていたはずのこういった立派な門が数多く見られるのは、あるいは明治以降になってそれが一つの流行となったのだろうか。町の北外れの桜井地区にも板塀に囲まれた豪壮な屋敷を中心に、土蔵、そして栃木県南部を中心として多く見られる大谷石の石蔵などが残る見応えある町並景観が残っていた。
 この町は古い建物の保存に積極的で、国の登録有形文化財に60余りの建築物が登録され、その数は町村単位では日本一を誇る。平成15年から重要伝統的建造物群保存地区に向けての調査も開始されている。御陣屋前通りを中心に訪問客を受け入れる施設も見られるが、あしらったように改装したり、土産物屋風のものは全くない。
 公開された造り酒屋の一角で、醸造に使われている地下水を試飲してみた。冷たく喉越しよい水であった。筑波山の伏流水であろう。この豊富な水もこの町の産業の発展を支えてきたのだろうと思いながら町を後にした。




桜井地区の町並。大谷石の蔵が見られます。 下宿町の潮田家。角地にある堂々たる入母屋造りの商家建築です。

 
 
<2014.06追記>
 10年振りにこの町を訪ねる機会を持った。その間に重要伝統的建造物群保存地区となっているが、東日本大震災による影響が未だに残っているという印象が強く残った。

 
2004年以前に訪ねた旧機で撮影を行った町並を再取材した場合は、原則再訪時の画像を第1ページとして更新するのを原則としていますが、今回は例外として、第2ページとして掲載します。
 将来、第1ページとして掲載できるようになるのを待ちます。
 
 →2014年再取材時の画像へ
 


訪問日:2004.10.10
2014.05.04再取材
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