三原の郷愁風景

広島県三原市<城下町> 地図
 
町並度 4 非俗化度 7  −旧山陽道沿いを中心に残る町並−

西町一丁目の町並

 西町一丁目・二丁目の町並



 
本町一丁目の町並
 現在は海岸部は広大に埋め立てられ、工業都市として知られる三原市だが、この町の起源は小早川氏の城下町である。三原駅新幹線ホームの辺りはかつての本丸の中心で、高石垣がホームのすぐそばに迫り今も残っている。
 この周辺まで当時は海であり、瀬戸内水軍を司ってもいた小早川隆景は湾岸の小島をつないで要塞を築いたのである。浮城といわれたこの三原城は、城郭であると同時に水軍の拠点ともなった。江戸初期の一国一城令でも特例として残されたほどで、二の丸・三の丸は濠を隔て隣接した浮島に設置されていた。
  

 
 これら武家地区は現在は新しい商業地となっていて当時の姿は全く残っていない。今でも城下町の面影を伝える地区は、旧山陽道に沿う東町と、西に1kmほど隔たった西町で、いずれも商人町であった。
 西町は現在は商店街で多くは現代風の建物であるが、所々に明治頃の建築と思われる重厚な造りの商家が残っている。その絶対数は決して多くなく古い町並としての密度は低いが、近年地元の方々の意識が高まっており、新築や改築の際のルールなども定める動きがあるようだ。また、一部では飲食店などとして活用されている古い建物もある。
 旧山陽道から北側の地区でも、昔ながらの銭湯や路地風景などが見られ、風情のある一角も残っている。
 一方東町は近年国道バイパスの整備に伴い拡幅され、古い町並としてはほぼ失われてしまった。かつては狭い通りの両側に造り酒屋が多く見られ、西町を凌駕する町並風景が見られたものだが、今はかろうじて「酔心」の蔵元・山根本店の建物が残されているのみとなっている。 
 

 

 本町一丁目の町並(飲食店として利用されるもと商家)  本町三丁目(旧山陽道から外れた山手)の町並
 

 

 本町三丁目の町並  東町一丁目の町並

2020.12最終訪問時撮影   旧ページ

訪問日:2001.10.21
2020.12.19最終取材
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