村田の郷愁風景

宮城県村田町<商業町> 地図
 
町並度 7 非俗化度 6 −紅花を基盤とした商人の店蔵が程度よく残る−



 村田町は宮城県南部の内陸部、東北自動車道のインターチェンジが設けられ交通の便は良い。
 
町役場のある通りの二本東側、本町地区・荒町地区と呼ばれる南北の筋には豪壮な店蔵が集中し、古い町並を形成している。



村田の町並 






大沼酒造と付近の町並








 土蔵建築はほとんどが街路に面して前面が大きく開放できる構造で、そのため店蔵と呼ばれる。実際今でも荒物屋や弁当屋、化粧品店などとしてそのまま利用されているものも少なくない。店蔵に隣接して屋根付きの薬医門風の門があり、その奥に収納蔵などが配置されている例も多い。
 三叉路の位置にある大沼酒造は正徳2(1712)年創業。間口はこの界隈の商家の中で最も広く、凝った彫刻を施した屋根付きの木製看板が印象的である。この辻付近が特に連続性が高く、迫力を感じる町並景観が展開していた。
 この豪華極まる商家は何によるものなのか。村田は奥州街道の大河原宿から羽州街道に至る街道が通り、古くからの町場で江戸初期には定期的に市も立っていた。羽州で盛んだった紅花栽培はこの街道を伝わり、この村田周辺でも18世紀半ばには本格的に栽培が始められた。村田の商人は、染料や化粧品の原料として珍重されたこの紅花を天日で干した「干花」の取引を行った。陸路江戸へ運ばれるものや、峠を越えて最上川を経て西廻り航路で畿内に運ばれるものもあった。畿内で紅花を売った代金で得た大量の上方の物資が帰り荷として運び込まれたことも、商業拠点として発展する基盤となった。
 紅花は明治後期には需要が激減したが、生糸や塩などの商売に転向し、町は引続き繁栄を続けていた。 
 前回訪問時との間に重要伝統的建造物群保存地区となっており、それも納得できる質量を誇る町並と言えよう。一軒一軒の細かな意匠を注視しながらゆっくり歩くほど深い味わいが感じられる町である。前回には見られなかったものとして旧家の玄関先に屋号や店蔵の建築年などを記した銘板があり、意識されている様子だったが、傷みが目につく店蔵や、足場が設置され修理中のものもあった。これは3月に発生した地震による被害と思われ、健全性は取り戻しつつあるに見えたが災害に対する弱さというのは古い町並には避けることのできない課題でもある。




 
  更地となったことで付属屋や土蔵など非常に奥行きの深い敷地を有していることがわかる 

2022.07再訪問時撮影    旧ページ

訪問日:2005.05.21
2022.07.16再訪問
TOP 町並INDEX