名張の郷愁風景

三重県名張市【城下町・宿場町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 6 −市街地を屈曲する街道沿いに古い町並が残る−





新町の町並
 名張は三重県伊賀地方の中心都市の一つで、近鉄大阪線により大阪中心部と1時間で結ばれ、通勤圏の一部ともなっている。伊賀地方は畿内方面から伊勢参宮への通過点にあたり、古代より交通の発達を見たところであった。既に7世紀には飛鳥地方からの官道がここに達し、東海路と伊勢路に分岐していた。
 江戸時代は領主藤堂氏の統治する所として維新まで続いた。城下町としては小さいものであり、居城は現在の栄町付近の小高い丘にあったが、城郭を構えず大名屋敷のような構えであった。名張川に近い低地に家臣屋敷を置き、周囲に商人を住まわせた。
 


新町の町並(木屋正酒造)




鍛冶町の町並 上本町の町並 




松崎町の町並
 

 
藤堂氏は城下に初瀬街道を引入れて整備している。伊勢街道とも呼ばれ参宮のための主要街道であり、お蔭参りと呼ばれた伊勢参りの流行の折には爆発的な人々の往来を受入れた。八カ町と呼ばれる初瀬街道に沿った町場を整備し、宿場町を建設した。庶民のための茶店や旅籠屋のみならず本陣と脇本陣を各1ヶ所設けた。
 
名張川にかかる新町橋が大和方からの町の入口であった。新町から始まり、所々直角に折れながら続く街道沿いには多くの商店や宿屋が並び、当時の伊勢参りの旅人は休憩し、食事を摂り、或いは一夜の宿をここに求めていたことであろう。
 街道の屈曲を挟みながら、適度な幅で連なる初瀬街道にはささやかな案内板が立てられ迷うことはない。新町の木屋正酒造は江戸期から続く造り酒屋で、明治22年築の主屋が虫籠窓を従えて伝統的な姿を残している。その他細川家・山中家といった建物が小さな案内板で由来と建物の構造が紹介されている。古い町並としては本町、中町、榊町、松崎町、上八町、東町と断続的ながら連なっている。旧街道から外れても、鍛冶町には大正初期に旅館として創業した清風亭(現在は鰻料理屋)が当時そのままに営業され、上本町では昭和的な商店街の面影も見られるなど、面的な展開がある。
 今回は15年振りの再訪で、街道沿いの古い建物は一部失われたものもあるようだったが、地元の建物や町並を守ろうという意識は高まっているようで、案内看板の設置のほか二次利用されている古い建物も見られた。
 
 

 

上八町の町並 
※2023.06再訪問時撮影    旧ページ

訪問日:2008.07.20
2023.06.02再訪問
TOP 町並INDEX