小方の郷愁風景

広島県大竹市<産業町・街道集落> 地図
 
町並度 4 非俗化度 8  −港にも接していた山陽道沿いの町−




小方の町並


 広島県最西端の町大竹は現在では化学工業の立地する工場地帯が海岸部に大きく広がっているが、かつては和紙の生産が盛んであることで知られていた。江戸末期の記録では現在の市域で紙漉きに従事する人は3,000人近くにも及び、最盛期となった大正中期では千軒もの製紙家があったという。
 
 
 
 旧山陽道の沿線にもあたっており、現在古い町並が見られるのは主にこの街道筋である。玖波宿より南へ3kmほど、海岸沿いに進んできた街路はここからやや内陸に向かう道筋となる。
江戸初期に福島正則によって亀居城が築かれ西方防備の拠り所としたことが町の成立ちであり、基盤はその家中町であった。また後になって山陽道の間宿的な役割も芽生え、大きな町場として発展を続けてきた。また木野地区などと同様、紙漉きをはじめ商業が栄えていたところである。
 また現在では国道を挟んで大型商業施設等も見られるため想像しがたいが、港も有し諸国の廻船も立ち寄り問屋が多く建ちならんでいたという。漁業で生計を立てるものも多かった。
 小方の町並は連続した町家建築といった形では残ってはいないが、平入りで袖壁を両妻に張出した旧家があちこちに見られる。廻船業、問屋業で栄えた名残の旧家もあるのだろうか。造り酒屋や漆喰の土蔵なども見られ、古い町並の雰囲気を醸し出していた。
 但し、町並の南側では自動車専用道の建設が進んでおり、再訪時には大規模に更地となっていた。古い町並の南側も一部影響を受けている。
 他の地区もいつまで現状の状態が保たれるか、はなはだ心許ないものがある。






訪問日:2004.05.05
2015.03.29再取材
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