(九間町・柳之町界隈)の郷愁風景

堺市堺区【商業都市】 地図
町並度 5 非俗化度 6 −中世には国際貿易港として栄えた大商業都市−



 
 

 堺の地名は摂津・和泉・河内の三国の境目に発達した集落という意味ともいわれる。
 中世には国際貿易港として既に大変な発展を示していて、アジア各地に留まらず欧州との交易も行われていた。当時、或る宣教師が堺のことを東洋のベニスと形容したというのは有名な話である。陸上交通も、各地からの街道が扇の要のように収束していて、特に大和方面とのつながりが濃かった。町は自治的な政治体制をとっていて、濠が周囲を巡り商業都市として栄え、海の堺として陸の今井
(奈良県橿原市今井町)
と並び称されていた。
錦之町西の町並 


 


 
九間町東の町並 
 



 
九間町東の町並 
 



 
柳之町東の町並(右は山口家) 


 
江戸時代に入ると鎖国令によって国際港としての役割が奪われ、また大坂の発展により堺の地位は揺らいだ。しかし町の力を認めていた幕府はここを直轄地(天領)として指定し、生糸の商取引などの特権を与え商業都市としての発展が続いたが、大和川が現在の流路に付け替えられて以降大量の土砂が港に堆積し、港町としては衰退した。しかし町の基盤は既に完成されていたものであったので、周辺一帯で栽培が盛んだった綿花を仕入れ、織物産業が隆盛をきわめ、その他多数の手工業も盛んで、商人の町としての位置は変らず、全国で堺商人の名を知らないものはいなかったといわれる。
 廃藩置県により堺県が成立。県域は旧和泉国・河内国、そして関連性の深かった大和国も含まれた。しかしその後の頻繁な併合などにより、結局は大阪府の一部となってしまった。現在では昼間人口の少ない、大阪のベッドタウンとして機能するに至っている。
 都市化されたとはいえ、北部を中心に広い範囲に渡って古い建物が存在している。その中で九間町・柳之町界隈の町並を紹介する。南海電鉄本線の東側に展開する区域で、神明町電停付近では電車通り沿いにも商家風建築の連なりが見られる。「創業文化二年」「堺打刃物」の文字のある老舗、暖簾に「嘉永三年創業」と染め抜かれた製茶店などがあり、これだけでも堺の業行町としての賑わいが感じられるようだ。
 碁盤目状の街路が展開する路地に入っていくと、中二階の町家風建築が所々見られ、案内板が設置されている旧家もある。その中で特筆されるのが重要文化財に指定された山口家住宅だろう。慶長20(1615)年大坂の陣による大火の後に建てられたという全国的にも貴重な江戸初期建築の町家建物で、内部も広い土間とそれに面した座敷というその当時らしい姿を留めている。
 市は古く環濠に囲まれていた旧市街地の北部地区を対象に、独自に町並や建物の補助制度を制定しており、今見られる旧家群もその結果なのだろう。今後も維持され商都だった頃の姿を伝え続けていただきたいものだ。

2025.05最終訪問時撮影  旧ページ

文章の一部は「堺(北旅籠町・桜之町界隈)の郷愁風景」と共通


訪問日:2005.01.02
(2025.05.21最終訪問)
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