長野県須坂市<産業町・商業都市> 地図(中町交差点を示す) 町並度 7 非俗化度 4 −製糸業で財をなした重厚な商家群− |
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春木町(旧大笹街道沿い)の町並 | |
長野盆地東部に展開する須坂市。江戸期には堀直重がこの地を領有して須坂藩が成立し、陣屋も設けられており、「須高地方」と呼ばれたこの一帯の中心であった。 その要因は二本の街道が交差しており、物流の要衝であったことが大きい。江戸期には南北の大笹街道と東西の谷街道が現在の中町交差点で交わり、特に大笹街道には北国街道の脇街道的な役割があり、物資交流に重要な役割を果していた。 物流をもとに商工業が発達し、その中心は養蚕業・製糸業であった。盆地東端の扇状地に位置している須坂は水に乏しく、農地も水田より桑畑などが卓越していて、製糸業の素地となる養蚕は盛んだった。善光寺経由の北国街道が犀川の川止めで足止めされた際にはこの脇往還に頼らざるを得なくなり、千曲川(信濃川)に通船が許可され川港として発展した。このことも商工業の発展をより推進させることになる。 藩の管理の下上層商人による町づくりが行われた。製糸業が本格的に栄えるのは幕末になってからで、それ以前にも酒造・煙草・油商などが大きく台頭していたので、市が定期的に立って近隣の町村を含めた経済の中心となっていった。 現在も中町交差点を要に十字状に古い町並が残っており、その質も高い。重要伝統的建造物群保存地区への選定の運びときき20年振りに再訪することとなった。その後手続きを経て、2024年8月に正式に保存地区となっている。 保存地区内には特定物件と呼ばれる伝統的建造物が210棟あり、その多くは旧街道沿いに存在している。そのため二本の街道を歩くとほぼ町並や建物の全体を見ることができる。旧大笹街道は北側の春木町交差点から中町を経て上町付近までの約1km、谷街道は交差点から西の横町界隈に、東側の山田道と呼ばれる部分を含んでこちらも1kmほど町並が連なる。町並として最も見応え度があるのは中町交差点付近だが、北側の春木町界隈も大柄な商家建築が多い。重厚な屋根に鬼瓦を載せた関東風の建て方のほか、うだつを立ち上げた旧家もあり様々な構えを見ることが出来るのも特徴である。一部は公開されていて、その一つ旧小田切家は須坂藩の御用達を勤め、酒造や油、蚕糸、呉服商など数々の商売を行った豪商宅である。通りに面して厳かな表門を構え、多くの座敷を有する主屋に4棟の土蔵を従えていた。 谷街道沿いでは横町の西部に連続した伝統的建物が見られる。全体には白漆喰に塗込められたものが多い中、土壁の建物が見られるのが特徴で、三階建のかなり大柄な建物もある。最近になって外観を修景したようでやや整備された佇まいに感じるが、むろん明治期の商家に由来する建物群なので風格は充分である。 |
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春木町の旧小田切家住宅 | 上中町(旧大笹街道沿い)の町並 |
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本上町(旧大笹街道沿い)の町並 | 新町(旧山田道沿い)の町並 |
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横町(旧谷街道沿い)の町並 |
訪問日:2004.05.29 2024.06.02再訪問 |
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