備中高梁の郷愁風景
| 岡山県高梁市<城下町> 地図 町並度 6 非俗化度 3 −武家街・商人街が明確に残る山城の城下町− |
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高梁市は県域の中央部やや西寄り、旧備中国のほぼ中央にある。市街背後には山城として名高い松山城が聳え、麓を流れ下る高梁川とともに戦略的な要害の地として古くから着目された。 14世紀に高橋宗康が備中国守護として入城し、守護代として麓の村を整備した。これが城下町の始まりと言われる。ただし、他の多くの城下町に見られるように、本丸を中心に同心円的に広がるものとは異なり、地形に制約されて城に近い山裾より二の丸・三の丸と続き、町割は櫛形をなしている。現在この地区には土塀が今でも連続して残り、武家屋敷も現存し一部が資料館として紹介されている。付近には枯山水の庭園が見事な頼久寺もあり、市内随一の観光名所となっている。また、城の外堀ともいえる紺屋川地区は美観地区として桜並木となっており、これらの地区を中心として訪問客も多い。 |
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| 武家町の風情の残る石火矢町の町並 | |
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| 下町の町並 | 鍛冶町の町並 |
高梁川はまた、交通路として重要な役割を果たしてきた。上流に鉄を産出する山々に恵まれ、沿岸部からは塩や魚介類、さらに大坂方面からの物資の取引もこの川を往来する高瀬舟によって行われた。城下の整備に伴い新田開発、船着場も整備され、物資が必ずここを中継地としたため、川沿いの本町界隈は問屋や豪商の屋敷が続々と建ち並んだ。それらの一部は今でも残り、武家屋敷街とは対照的な町家の連なる町並が見られる。これは大正期に開通した鉄道の駅が市街地の南端に設置され、駅周辺に新しい商業地が形成されたため旧市街が温存されたことが幸運であった。 本町通りの商業地区の伝統的な家々は切妻平入が基本で、主屋の立上りの高い部分は入母屋となっているものもあり見応えがある。間口が非常に広く立派な二階屋で、川港を基盤に数多くの商家が立地した様子が感じられる。本町の一角にある池上邸は江戸期より小間物屋を営みながら高梁川水運の船主、両替商なども行い、明治期には醤油醸造販売に携わった豪商。高梁市商家資料館として公開されている。また紺屋川沿いにある日本キリスト教団高梁教会は明治22年に建築された岡山県内ではもっとも古い教会堂。明治37年建築の旧高梁尋常高等小学校(現在、郷土資料館として公開)などの姿から、この地が近代文化の一大中枢でもあったということがわかる。 |
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| 本町の町並 | |
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| 日本キリスト教団高梁教会 | |
| 訪問日:2003.04.12 2024.04.25・26最終訪問 |
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