高砂の郷愁風景

 兵庫県高砂市<港町> 地図
 町並度 5 非俗化度 7  −加古川を下った物資はここから積出された−
 




 工楽松右衛門家旧宅と付近の町並
 

 高砂市は姫路市と加古川市に挟まれ、播磨灘に面している。古くからの市街中心は山陽電鉄の駅より南側の街区で、加古川の河口の西側である。この地区は近年大規模に埋立てられ、一大工業地帯となっているが、昔はまさに白砂青松の美しい港町であった。高砂は歌枕にも用いられ、謡曲にも歌われた。
 関ヶ原の合戦後播磨藩主となった池田輝政は慶長16年(1605)、町の中心、現在の高砂神社の辺りに城を築いた。加古川の河口付近に位置することから池田氏は舟運路を整備し、東播磨地方の物資の集積地として計画した。この川運は主に年貢米の輸送に使われ、伏見より米蔵を移し収納させたり、周囲の村々より住民を呼び寄せ町作りを命じたという。町内の今津町は、対岸にあった今津村からの移住民を住まわせたことに由来している。
 この頃に港町高砂の原型が整えられていったのである。
 町を歩くと、周囲の商工業地、新興住宅地の中で、趣の異なる静かな島が残されている様で、路地の複雑に巡る町割は古い港町の風情が色濃い。高砂神社の北側には、漁船の停泊する舟だまりがある。これは河口の港として開かれた堀川の名残である。南岸には板張の簡素な舟蔵が数棟残っており、昔を偲ぶことができる。
 この堀端から近いところに工楽松右衛門旧宅がある。帆船の帆に改良を加え、幕令により択捉島に埠頭を築き、その功績で工楽姓を与えられた。前回訪ねた時はかなり傷んだ様子だったが、平成28年に建物が高砂市に寄付され1年以上かけて修理工事が行われた。現在は無料公開され、座敷や電話室などできるだけ原形を壊さない様に修繕が行われた様子がうかがえる。様々な資料の展示もあり、工楽家の偉大な功績を知ることができる。付近の建物や船着場として使われた堀川の雁木も再整備され、高砂の歴史を感じることが出来る。
 前回訪問時にも建物・町並を意識した動きが始まっていたようで、解説文では「工楽家付近をを中心とした古い町並の今後に期待したい」と書いたが、見事に実現された形だ。要所に旧家の案内地図なども整備されている。
 




藍屋町の町並 高瀬町の花井家(登録有形文化財)




高瀬町の町並 船頭町の町並


 
材木町の三連蔵


2025.05再訪問時撮影     旧ページ

訪問日:2003.01.02
2025.05.02再訪問
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