俵山温泉の郷愁風景

山口県長門市<温泉町> 地図
町並度 6 非俗化度 5 −湯治場の雰囲気を残す山間の温泉地−



 長門市には湯本温泉を筆頭として幾つかの温泉地があるが、その中でもっとも温泉街に風情が感じられるのが市域の西の外れ、山懐に開ける俵山温泉であろう。長門市内でありながら瀬戸内海に流れ込む木屋川の上流域となっており、どちらかというと下関方面とのつながりが強い。








俵山温泉の旅館街


 温泉街は木屋川の主に左岸の崖沿いに連なっており、土地が狭く通りも車両のすれ違いが困難なほど狭い。その分旅館の密集感が高く、しかも伝統的な構えを見せる旅館も多く情緒を感じさせる温泉街となっている。木造の温かさが伝わる湯治場というに相応しい町並だ。中には古めかしい木造三階建の宿屋も残っている。狭い土地を活用しようと、木屋川側に石垣を積んで平地を稼ぎ、建物を増築している旅館もあった。そのような立地も旅館群が大きく建替えられること無く残った理由なのだろう。
 歴史は古く10世紀頃に発見されたとされ、江戸中期には萩藩主が頻繁に湯治に利用していたという。江戸末期の安政年間には年に1万3000人余りの客数があった。萩藩の本陣を中心に温泉場が栄え、人々の集まる町場であることから酒屋や酢醤油などの醸造業者、紺屋や鍛冶屋なども立地した。
 俵山温泉の一番の特徴は旅館に内湯がないことで、宿泊客は共同浴場で湯浴みを行う点である。町の湯・白猿の湯という二つの浴場があり、旅館街もそれらを中心に据えたような配置になっているのもうなづける。湧出量が限られているためとも言われるが、それよりも湯治場としての位置付けが強かったことを物語るもののように思える。江戸期から戦後しばらくまで吐取制度と呼ばれる独特の仕来りがあったといわれ、これは収入が平均を超した宿屋は平均まで吐出して、平均以下であった宿の穴埋めをするというもので、ここの旅館群は相互扶助を行いながら長年営業を続けていたのである。昭和39年には俵山温泉合名会社が発足している。
 夕暮れ時に旅館の看板に灯がともり始める中、宿泊者そして地元客も共同浴場に通う光景は濃厚な温泉場情緒が感じられるものである。日帰り客の方が多いようだが、やはり宿泊することによってそれら感じることができるだろう。




木屋川沿いには廃旅館が見られるなど異なる雰囲気となっている また旅館街の土地の高さがわかる

※2019.06再訪問時撮影
 
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訪問日:2004.09.20
2019.06.15・16再取材
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