第3号 (02.11.2発行)

鞆に見る古い港町の模索(2)

    

   関連ページ 鞆の郷愁風景

 前号では、鞆の町の現状と経緯について少しばかり紹介しました。県道の迂回路として、ある鞆を愛する団体が、山側を短絡させるトンネル案を橋梁の代案として提示しましたが行政は経済性等の面から飽くまで橋梁案を推進しています。遅かれ早かれ、この町に大きな変化が起こる可能性は大きいでしょう。
 今の鞆の町並は、内部的にも外部的にも何の手も加えなければ、伝統的家屋は更新され、古い港町の遺影すら消滅し、悪い交通事情だけがいつまでも残ります。そこで、どのような変化がこの町にとって最もベストであるかを、素人の頭で少し考えてみました。
 

架橋問題について

 まず、埋立て架橋について少しふれておきたいが、まだまだ調査不足のこともあり、架橋そのものに反対か賛成かというそのものについては、功罪も数多くあることから断言するのは控える。
 ただし架橋は景観問題を惹起させるだけでなく、鞆が通過点になってしまうのではないかという危惧も否定できない
(注)。何がしかの求心施設がないと、逆に忘れられ寂れてしまう気がする。湾内に長大橋がかかって視線の大半を占めれば、「古い港町の風情がそのまま残る」というフレーズは使えない。単なる博物館だろう。この町の特徴は町並だけに留まらず雁木、常夜灯、焚場などの港湾施設の景観を包含しているから価値が高いことを忘れてはならない。 
 これは外部の眼から見た部分であるが、地元の方々にとっては、現状のままでは慢性的な交通の不便さ、危険性も残ったままである。架橋により市街地の交通安全、迅速性は確保され効果は高い。散策客も今より落着いた町並歩きが可能だろう。形はどうあれ何らかの道路整備は必要である。
 橋梁案となったのは、経済比較あってのことだが、他案との差額は、町の空洞化、博物館化、景観の破壊の代償としては取るに足らぬもののはずである。代案について再検討する余地は、もう残っていないのだろうか。
 
 
(注)和歌の浦(和歌山市)では地区の交通渋滞のため内湾を跨ぐ橋梁建設案を、反対派が学者や文化人の署名を持って対抗した。架橋予定地には白砂青松の地を、紀州徳川家の作った石造のアーチ橋が架っていた。結局、県側は工事に着手、「観光客に気持ちよく見てもらえるような整備を進めなければ、人は呼べない」とは当時の県都市計画課長の発言。
 その後、確かに地元住民にとっては便利になったものの、観光客の姿はまばらになったという。

 陸への窓口であったかつての港町、旅人を迎え入れる常夜灯の先に架橋されて車が駆け抜ける情景、そして観光整備が進み、このような小路に土産物屋が軒をつらね、団体客が闊歩する姿は、この町並に訪れるべきだろうか。 

 
 地元自治体での町並保存活動もおこなわれている。これは旧鞆製網合資会社の社屋で、「鞆の津の商家」で、市教委が来年、訪問客の観光拠点施設としてのオープンを目指し改修を進めている(2002年8月の状況)。
 
 
これからの鞆、そして古い港町のあり方は...(皆様も一緒にお考え下さい)
 
 それでは、仮に道路が整備された以後の姿はどうあるべきだろうか。この方が重要である。貴重な古い港町を継承して行く過程では、ある程度の変化はやむを得ないだろう。住む人も訪れる人にも魅力を感じつづける町でなくてはならない。そこに生じる矛盾を極力小さくするためにはこれからどうすればよいだろうか。

@現状の町並をいい形で伝え続けるには、残念ながら住民・地元行政だけでは限度がある。重要伝統的建造物群保存地区に選定されることが第一歩である。
 
 前号で触れた通り、重伝建への足取りは道路整備計画の行き詰まりで長年保留のままである。その間に相当数の古い町家が壊され町並景観が崩れていった。このスピードを抑え、いい状態で後世に残したいものである

A団体客を目当てとした観光開発だけは断固として回避すべきである。観光客で町が潤うなどという思想は一切排するべきである。取ってつけたような土産物、土産物屋も作ってはならず、保命酒だけで十分である。
 
現在鞆地区には残念ながら観光ホテルが数軒建ってしまっている。しかし古い町並への団体客の流れ込みは今のところ激しいものではないようで、現段階ではまだ、町並地区を見る限りは「観光地」としての眼で見ると極めて地味である。古い町並として保存して行くにあたっては、観光地などというものになっては路線を自ら外すことになる。外殻は古い構えであっても軒並土産物屋等になった、死んだ町並では存在価値がない。生活が息づいていてこそ町並である。今の団体客の多く訪れる観光地を見ていると、残念ながらそれらに迎合した施設等が乱立し、地元は町の経済的潤滑を団体客に期待する悪循環となる。(なお、ここでいう団体客とは、町並に関心のあるものだけで編成されたグループ以外の、例えば旅行会社のツアー客や、宴会客などと考えてよい。)

B個人観光客の割合の高い尾道市との結びつきを強くすべきである。航路の開設も一案。

 
尾道市は鞆に近く、しかも個人旅行者の割合が高く、「観光地化」の度合がある意味で極めて低いところである。ここを窓口に、同じ港町同士をリンクさせて、海から鞆への訪問も可能にすることは大きな意義がある。尾道を訪問先に選択する客層は鞆への関心も低いことはあるまい。港町といえどもほぼ100%の鞆の訪問客は、陸を経由して訪れている。常夜灯に迎えられて雁木から足を踏み入れる鞆の訪問の仕方を復活させれば、鞆を訪れた印象も強まり、知名度もアップする。ただし、くどいようだが、その知名度は、観光地としてではなく、古い町並としてである。(これは私が以前から考えていたことだが、町並ゼミの会場で城間和行・尾道市議が言及され、非常に共感をいだいた)

C他の町並地区と連携し、内部・外部的にも町並に関心を持ってもらえるよう、啓蒙活動を続けるべきである。
 
現在残る古い町並は、単発的に発生したものはほとんどない。鞆の場合は周辺の瀬戸内の港町と深い係わり合いのもとに発展している。これらと連携を深め共通理解し、共同での出版物の刊行、HPの作成などを期待したい。また小さな町並は、その貴重さに地域が気付いていない場合も多い。それらを刺激するためにも、メディアを通して一人でも沢山の人に古い港町を知ってもらいたい。
 これまでも鞆の町を舞台に著名人を招いての講習会、イベントが行われているが今後も継続して行くべきである。

E地元住民自身もこの町について深い知識を持ち、若い世代は知らないなどという事例は少なくしたい。
  若者の都市流失など、これは難しい問題だが、町に住む誰もが町の簡単な案内ができるほどであって欲しいと思うのは考え過ぎだろうか。町に無関心な年配者は無関心な若者を育て、やがてわが町に対する「心意気」は薄れてしまう。
 

  
 最後に、9月20〜22に鞆を行われた全国町並保存連盟主催の「第25回全国町並ゼミ」で採択された「緊急アピール」を紹介します。

 第25回全国町並みゼミ鞆の浦大会の参加者一同は、「鞆の浦」の歴史的環境を活かしたまちづくりを進めるため、歴史的な町並みが、すみやかに国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されることを求める。歴史的建造物の老朽化はどんどん進んでいる。保存の対策は一刻の猶予も許されない。福山市による条例整備などの準備も進み、多くの住民が賛同している。重伝建に向けた気運は、いま、高まっている。
 伝建地区指定のハードルとなっている保存予定地区内の都市計画道路は、行政側が代替道路として検討している鞆港の埋立て・架橋計画による県道バイパス整備とは、切り離すべきである。鞆港の埋立て、架橋計画は、現時点では地元の100%同意が得られず、着工の目途がたっていない。また、着工から完成まで10年以上かかるとされる。
 一方、住民からは、すれ違いもままならぬ狭い道路に対して、早急な対応策が求められている。まず、暮しの中での不便を緩和し、交通の安全を確保するため、実現可能な生活道路を早期に整備すべきである。
 されに、港湾計画についての住民同士の対立が、将来に禍根を残すようなことがあってはならない。賛否を超えて共通のテーブルにつき、対話を生み出す必要がある。交通需要管理や災害対策、駐車場のあり方、最近になって調査が進んでいる港湾遺産の価値などについて、基礎的なデータを準備し、住民と行政、専門化がオープンな場で、時間をかけて検証すべきと考える(後略)。


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